八岐大蛇 実在した逆賊の正体

八岐大蛇

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)とは古事記や、日本書紀に登場する大蛇です。

それも首が8つ。尾が8つもある怪物です。

だけど、神話は神話。単なるファンタジー。そんな化け物なんている訳ないですよね?

でも、実在したのです!

今回はその正体と、真実を当サイトが考える視点でお送りします。

ヤマタノオロチのおさらい

まず正史のおさらいを簡単にしていきます。

島根県から鳥取県を流れる斐伊川には、毎年一人ずつ若い娘を食る怪物がいました。

ヤマタノオロチ

そこにスサノオが降臨。

話を聞いたスサノオは八岐大蛇を倒すことを決意します。

倒し方

神であるスサノオであっても、簡単に倒せる相手ではありません。

そこで強い酒を用意し、八岐大蛇を誘い出します。

まんまと罠に引っかかり、強い酒をグビグビ飲み始め、泥酔する哀れな大蛇

これなら倒せるというタイミングを見計らいスサノオは『えい!』と剣で切りつける。

ちょっと卑怯な倒し方ですけど、八岐大蛇は倒されます。

草薙剣

尻尾

横たわる八岐大蛇の尾にキラリと光るものがありました。

何だろうと思い、スサノオが切りつけると、剣が欠けてしまう。

そこには奇妙な形をした剣が出てきました。

何だ、これは!草をなぐ剣ではないか!

これが三種の神器、草薙剣なのです。

以上が、ざっくりとした内容となります。

古事記・日本書紀と風土記の齟齬

古書

正史古事記や日本書紀には、八岐大蛇の話を始め、多くの出雲神話が書かれています。

でも、出雲國風土記には書かれていません。

また『オロチ退治の神楽』も出雲ではなく、石見(島根県西部)で継承されています。

一体ナゼなのでしょう?

では、ここから古代史の謎、八岐大蛇の正体に迫っていきたいと思います。

登美長髄彦

長髄彦

奈良県生駒市の大屋敷に怒号が響き渡る!

すべて台無しではないか!

絶対にぶっ殺してやる!

声を荒げるのはニギハヤヒ王朝の軍事トップである長髄彦(ナガスネヒコ)。

生駒市は当時、登美(トミ)と呼ばれており、長髄彦はトミヒコとも呼ばれていました。

権力掌握の秘策

飛鳥時代、蘇我一族は娘を天皇に嫁がせて、子供を産ませました。

その子が天皇になると、天皇の叔父として、絶大な権力を振るいました。

平安時代、藤原一族も娘を天皇に嫁がせて、子供を産ませました。

その子が天皇になると、天皇の叔父となり、強力な権力を得ていました。

それを数百年以上も前に、長髄彦は行おうとしていたのです。

宇摩志麻遅命

宇摩志麻遅命

長髄彦は妹をニギハヤヒに嫁がせました。

そして、無事に子供が誕生。

その子の名は宇摩志麻遅命(ウマシマジ)

邇芸速日命、登美毘古が妹登美夜毘売を娶して生みし子、宇麻志麻遅命

あとは、この子が王位を継げば良かった。

良かったはずなのに…

長髄彦の怒り

大物主命

ニギハヤヒ王朝はこともあろうか、九州から婿を迎え、王を継がせることにしたのです。

これに激怒したのが長髄彦。

だから、長髄彦は新たな計画を実行します。

絶対にぶっ殺してやる!

神武の東征ではなく、東遷

ニギハヤヒは奈良を首都とし、西日本全域を支配する大国の王。

それに引き換え、九州しか領土のない神武はいつ滅ぼされるか心配が尽きなかった。

だが、いきなり婿養子の話が持ち上がった。

ある契約』という条件はあるが、それでも婿養子の話に飛びつき、奈良に東遷する。

孔舎衛坂の戦い

孔舎衛坂の戦い

結婚も出来るし、西日本の領土も手に入る。そんなホクホクした思いで船で上京する。

畿内が見えてくると、海岸沿いを埋め尽くす多くの人々が出迎えてくれていた。

さすがは大国だ。これも自分のものとなる。完全に無防備な状態だった。

そこに長髄彦の軍が大量の弓矢を打ち放つ。

故、その国より上り行でましし時、浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。この時、登美の那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき。

五瀬命の死

竈山神社

急転直下の出来事に、一気に青ざめる。

慌てて引き返すも、兄の五瀬命(いつせ)に弓矢が突き刺さる。

五瀬命は破傷風により死去。

その遺体は竈山墓(和歌山県)に埋葬。

ここに登美毘古と戦ひたまひし時に、五瀬命、御手に登美毘古が痛矢串を負ひたまひき。陵は紀国の竈山にあり。

逆襲の宇摩志麻遅命

ニギハヤヒ王朝は父を継ぐ宇摩志麻遅派と、長髄彦派に二分する。

正義は我にありと思っていても、相手は軍事に長けた長髄彦。

簡単には倒せない。それどころか劣勢続き。そこで長髄彦に和睦を申し入れる。

交渉場所は、奈良県桜井市と宇陀市の間ある忍坂と呼ばれる街道(長谷寺の南側)

忍坂の戦い

宇摩志麻遅は敗北の将として、奴隷のように振る舞い、長髄彦を称える。

和睦の証とし、豪華な食べ物と、酒を提供。それも普段より濃い酒でもてなす。

剣を捨てて、代わりに徳利を持ち、酒を注ぐ宇摩志麻遅の軍。

勝利を確信した長髄彦は酒を堪能する。

戦のあとからなのか、普段より酒のまわりが早い。フラフラするが心地良い。

これで叔父となれる。王になってもいい。

そんな夢心地な思いに酔いしれている時に、宇摩志麻遅命が叫ぶ!

ウマシマジ

『今だ!逆賊を討て!』

宇摩志麻遅の和睦は偽り。

服の下に剣を隠し、タイミングを見計らい、一気に斬りかかってきたのだ。

八十膳夫を設け、刀佩けて誨へたまはく『歌を聞かば、一時に斬れ!』

長髄彦、死す

泥酔した兵士など敵ではない。

だが、長髄彦は強かった。強い上に、当時は貴重だった鉄の剣を持っていた。

こちらは銅剣。刃を交わすほど欠けていく。このままでは殺されてしまう!

だが、酒には勝てず、コントロールを失い、長髄彦は倒されてしまう。

ヤマタノオロチ誕生

長髄彦は忍坂近くの桜井市の山に埋葬され、鉄剣は神武に献上される。

銅剣がスタンダードであった時代に、鉄剣は貴重な代物。

その鉄剣を見た神武は驚愕する!

内反りの鉄剣

現在の日本刀は背中が反った『外返りの剣』

だが、それは鎌倉以降の話。時代が古いほど猫背のような『内反りの剣』となる。

極論『鎌のような剣』であった。

草を刈る鎌のような剣を見て神武は叫ぶ。

草薙剣

何だ、これは!草をなぐ剣ではないか!

これが『草薙剣』誕生の瞬間であり、神武は鉄剣を先祖の天照大神に捧ぐ。

かれこの大刀を取らして、異しき物ぞと思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。こは草薙の大刀なり。

物部氏

主を失った長髄彦の軍勢は極刑を覚悟した。だが、国防には必要な人材。

そこで軍事を現す『物』という字を与えられ物部氏として国防を担うことになる。

新たな主は長髄彦の血を引く宇摩志麻遅。

後に聖徳太子率いる軍勢に滅ぼされるまで、破竹の勢いで躍進していく。

神話への組み込み

隕石

この出来事は古事記・日本書紀に書かれる…はずでした。

しかし、10代崇神天皇はニギハヤヒとの契約を裏切り、祟られることになります。

祟りは天皇家にとっては汚名でしかない。

だから、ニギハヤヒそのものを歴史から抹殺する必要があり、それに付随する長髄彦をも消さなければならない。

そこで差別用語のヘビとして扱い、神話では皇族に殺される悪しき蛇として書かれることになりました。

それも、ヤマタノオロチという偽りの姿で!

宇摩志麻遅の神楽

この後、山陰で反乱が発生し、宇摩志麻遅は物部氏として出向きます。

鎮圧の功績により朝廷から石見が与えられ、そこで晩年を迎えます。

死後、石見國一ノ宮・物部神社が創建され、主祭神として宇摩志麻遅は祭られます。

石見神楽

さらに、長髄彦討伐の武勇は神話と融合し、石見神楽として継承されていきます。

ヘビの化身、クンピーラ

飛鳥以降、仏教が伝来し、神仏習合が進み、長髄彦も仏教と融合していきます。

御本仏はヒンドゥー教のヘビ、クンピーラ。しかし、明治に入り『神仏分離令』が発令。

そこで、長髄彦の分社の1つである讃岐國の寺院では、御本仏のクンピーラに漢字を当て

金比羅神宮

金比羅神宮として生まれ変わりました。

真実の出雲王朝

古事記・日本書紀に書いてある出雲神話は、出雲國風土記には記載されてはいません。

出雲國風土記に書いてある数多くの神話も、古事記・日本書紀には記載されていません。

それは出雲神話の出雲と、現在の出雲とは、まったく違う出雲だからです。

では、出雲神話の出雲とはどこなのか?

それは八岐大蛇、草薙剣を始め、その痕跡を数多く残す奈良県なのです。

大物主命誕生

大神神社

八岐大蛇とされた逆賊・長髄彦。

だが、はからずも大神神社に大物主命という新たな神名で復活することになります。

名の由来は『大いなる物部の主(あるじ)

存命中は欲望の限りを尽くした長髄彦だが、現在、日本最大のパワースポットの主として人々を幸福に導いている。

大神神社

ご祭神:大物主尊(オオモノヌシ)

〒633-8538 奈良県桜井市三輪1422
Tel:0744-42-6633

アクセス

JR桜井線三輪駅より徒歩10分ほど。