小野神社 瀬織津姫を祀 る神社

小野神社

小野神社(おのじんじゃ)は東京都多摩市に鎮座するご聖域です。

朱塗りの社殿がとても素敵な神社で、東京&埼玉&神奈川を包括する武蔵國の一ノ宮!

さらに、謎多き瀬織津姫や、旧一ノ宮と言う不思議な場所でもあります。

今回は、そんな不思議な『小野神社の謎』を写真と共にお送り致します♪

小野神社の見どころ

小野神社へのアクセスは、京王電鉄京王線・聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩6分ほど。

境内までは、宮下通りをまっすぐ歩くだけ!迷うことはありません。

鳥居

鳥居が見えてきました!

石造の明神鳥居が素敵ですね。

小野神社は、神社にしては珍しい西向き

午前中だと、逆光で写真が白飛びするので、午後からがお勧めです。

随神門

随神門

鳥居の先にあるのが、随神門。

小野神社は、東京&埼玉&神奈川を包括する武蔵國の一ノ宮

その為、随神門も、武蔵國一ノ宮に相応しい威風堂々たる正面軒唐破風付の八脚門。

随神門の彫刻

さらに、立派な彫刻が各所に施されており、見応え抜群です!

拝殿

拝殿

随神門の先にあるのが、拝殿。

小野神社は、神社では珍しい西向きに加え、お稲荷さんではないのに、朱塗りの拝殿

朱塗りの社殿は、渡来系の神社なのですが、こちらは日本の神を祭る神社…

なんか不思議~

本殿

本殿

拝殿の裏にある本殿も朱塗りです。

小野神社のご祭神は…

天下春命(アメノウルハル)
瀬織津姫
伊弉諾尊
素盞嗚尊
大己貴大神
瓊々杵尊
彦火火出見尊
倉稲魂命

この八柱。

筆頭である天下春命は、謎多き神さまであるニギハヤヒの天降りに随行した神。

さらに、次柱の瀬織津姫(セオリツヒメ)も謎多き姫神さまで有名ですよ~

天下春命と瀬織津姫

社殿

小野神社は、ニギハヤヒの天降りに随行した天下春命(日本の神)をお祭りする神社。

また、天照大神ではないか?と言われている瀬織津姫をお祭りする神社。

疑問

でも、社殿は西向きだし、色も朱塗りだし…

どうしてこうなったのでしょう?

それは…

真姿の池湧水群

東京のJR中央線・西国分寺駅の周辺には、2000年以上も清水が湧き出る泉があります。

それが、お鷹の道・真姿の池湧水群

とっても閑静な場所で、東京都にいることを思わず忘れてしまうほど。

西国分寺

かつて、西国分寺に暮らしていた縄文人は、真姿の池を飲み、命をつないでいました。

さらに、西国分寺に生息していた動物達も、真姿の池を飲み、命をつないでいました。

そして、その動物達は、縄文人に狩られて、縄文人の血となり、肉となりました。

そう。真姿の池は『生命の源』なのです。

狩猟採集

狩猟採集で暮らしていた縄文時代。

生きるために必要な水は、真姿の池だけでも十分でした。

しかし、人口増加と共に、狩猟採集だけでは食料を賄いきれなくなります。

多摩川

そんな時に、縄文後期から弥生時代にかけ、稲作の知識を持った人物がやってきます。

しかし、稲作を行うには真姿の池の水量では到底足りません。

そこで、縄文人は西国分寺から近く、かつ、水源が豊富な多摩川へと移住します。

稲作

多摩川に移住した縄文人は、稲作をもたらす指導者の元、さっそく稲作に着手します。

その恵みは、これまでの狩猟採集ではとても考えられないほどの恩恵だった事でしょう。

そう。

多摩川は『命を与える神』なのです。

洪水・氾濫

しかし、多摩川は豊富な水を与えると共に、洪水・氾濫という破壊をもたらしました。

その破壊レベルは、現代の多摩川とは違い、地形そのものを変化させる程だったのです。

そう。

多摩川は『命を奪う神』でもあったのです。

秋葉大権現

神道において、神となるには3つのパターンがあります。

まず、人は死して“誰でも"神となります。

しかし、その多くは『名もなき神』であり、人々の記憶から忘れられていきます。

一方、生きている間に偉業を果した人物は、親から子、子から孫へと語り継がれます。

多摩川流域で稲作を広げた人物もそうです。

ハートの模様の入った石碑

次に、大自然。

大自然からの恵みと、死をもたらす大災害。

この恩恵と恐怖に対する想いが信仰となり、やがて神として崇められます。

稲荷大神宮

最後に、神と大自然との合祀

偉業を果した人間は、名前が残る神となり、祭られます。

そして、いつしか、大自然に対する畏敬と、偉業を果した人物への想いが合祀します。

拝殿

当然、多摩川で稲作を広めた偉大な人物と、多摩川も合祀します。

これが小野神社に祭られている真の神です。

しかし、多摩川は洪水・氾濫を繰り返して、その度に地形は大幅に変わります。

その度に、小野神社も流され、遷座・遷座の繰り返し…

本殿

当然、せっかく築いた水田も流されて、また最初からやり直しです。

しかし、縄文人は大量の水を要した稲作を、現在の水田の原型にまで進化させます。

そして、その技術をもって、洪水を繰り返す多摩川を離れ、より適した地へ移住します。

ご利益

人々が多摩川を離れ、別の地に移住したことにより、多摩川への信仰は薄れていきます。

そして、聖地が過去あった記憶だけが残り、洪水の度に遷座し、祭神も変化します。

その為、小野神社の、天下春命、瀬織津姫、西向きの朱塗り…そこに意味はありません。

何故なら、小野神社における『本当の神』は多摩川と稲作を広めた人物なのだから!

小野神社のまとめ

小野神社

人々は危険な多摩川を去り、より最適な地へ移住しました。

結果、武蔵國一ノ宮の称号は、大宮氷川神社に譲ることとなります。

しかし、偶然とは言え、現在の地名でもある聖蹟桜ヶ丘

これは『聖地としてのプライド』が成せる技かも知れません。

小野神社の写真ギャラリー

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小野神社へのアクセス

小野神社

〒206-0002
東京都多摩市一ノ宮1丁目18ー8