月読命 天照大神を超える全知全能の神

月読命

月読命(ツクヨミ)は、天照大神やスサノオと同じ、とっても偉い神さまです!

でも、とっても偉い神さまなのに、古事記や日本書紀にはほとんど登場しない…

しかも、月読命を祭る神社もほぼ存在ない。

古事記・日本書紀

つまり、とっても偉いけど、何か分からない神さま。

でも、謎が多いからこそ知りたくなります。

事実、私が神社や古代史に興味を持った理由も『月読命の謎』を知りたかったからです。

そこで、今回はツクヨミの正体について記載したいと思います。

ツクヨミ誕生秘話

現人神

天皇。それは神である。

人間であっても、神である。

神として生まれ、神として生き、死してなお神である。

それが天皇である。

しかし、天皇でありながら、神であることを拒絶した天皇がいた。

50代桓武天皇である。

大化の改新

桓武天皇が生誕する90年ほど前。

645年6月14日。飛鳥宮に悲鳴が響き渡る。

声の主は35代皇極天皇。

大化の改新

重臣、蘇我入鹿が目の前で殺されたのだ。

首謀者は中大兄皇子と中臣鎌足。

大化の改新である。

無能の極み

蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子と中臣鎌足は政治改革を断行する。

しかし、そのやり方は暗殺と同じく、手順を踏まない強引なものであった。

絶望

さらに、勝てるはずもない朝鮮出兵を行い、白村江の戦いで大惨敗。

他にも、5年で廃都となる近江京遷都など、多くの失策を続けて行く。

白村江の人員も、近江京遷都にかかる金も、それ以外も、全て暗殺した蘇我家が100年をかけて築き上げたものだ。

これを2人はわずか20年で食い潰した。

しかも、日本を混乱に陥れただけであった。

長い歴史の中でも、これほど無能な政治家は見たことも聞いたこともない。

結果、諸国から反発が相次ぎ、中大兄皇子は大化改新から約20年も即位出来なかった。

668年2月、中大兄皇子はようやく天智天皇として即位するも、在位はわずか3年

暗殺

扶桑略記によると暗殺されたとする。

彼は敵を作りすぎたのだ。

壬申の乱

672年7月、天智の子・大友皇子が帝位につくことに諸国が反発し、クーデターが勃発。

首謀者は天智天皇の弟である天武天皇

通常、日本におけるクーデターは例外を除き反乱軍の敗北で終わる。

戦国時代

だが、天武天皇のクーデターは違った。

天智天皇と藤原鎌足に苦しめられた諸国は、天武天皇の味方をした。

また、鉄剣の最大産出国で、天武の育ての親である丹波國も味方し、天武天皇は大勝利。

正規軍の主・大友皇子は失望の末に自決。

この一連の流れを壬申と乱と呼ぶ。

全知全能たる天武天皇

壬申の乱に勝った天武天皇は、無能な天智に代わり、政治改革を行っていく。

その政策内容は全知全能を極めた。

特に日本人特有のマインド、常識、宗教感は秀逸を極める。

天武の政治改革

天武天皇が行った政治改革は多岐に渡る。

その一例を紹介すると、

大王と言う呼称を改め、天皇とする。

天皇は、現人神である。

現人神とは、神として生まれ、神として生き、死してなお神である。

これまで剣と鏡だった神器に『曲玉』を加え、三種の神器とした。

伊勢神宮に関しては、

日本最大の聖地を伊勢神宮とする。

内宮は太陽である『天照大神』を祭り、外宮は太陰である『月読命』を祭る。

伊勢神宮は20年に一度遷宮する。

遷宮は、社殿だけでなく、宝物を始め、全てを作り直す。

上記は天武が行った改革の一部に過ぎない。

富士山

日本人が日本人たる理由。

日本人が持つ独自の常識。

日本人が持つ独特なアイデンティティー。

その全ては、天武天皇が行ったものであり、これほど有能な人物は存在しない。

全知全能の天皇。それが天武天皇である。

伊勢神宮・外宮の祭神の正体

皇祖神は太陽の神であり、太陽神と並ぶのに最も相応しいのは、当然、月の神である。

だから、日本最大の聖地である伊勢神宮に、天照大神と月読命を祭らせた。

だが、天武天皇はさらなる策略を巡らす。

まず、皇祖神・太陽神に妻である持統天皇を合祀させて、これを新たな天照大神とした。

さらに、育ての親である丹波國の豊受大神に自身を合祀させて、月読命として祭らせた。

つまり、

内宮 天照大神(持統天皇+太陽の神)
外宮 月読命 (天武天皇+豊受大神)

ということであり、日本最大の神は我ら夫婦であるとしたのだ。

伊勢外宮

現在、伊勢神宮・外宮は豊受大神(女性)とされている。

だが、外宮の千木・鰹木は男を示している。

それは、外宮は月読命である天武天皇だからである。

繁栄を極める天武と、極貧の天智

信仰

天武の血を受け継ぐ子孫は絶頂を極めることとなる。

歴史上、天皇が専制政治が行えた唯一の時代である。

一方、壬申の乱で敗北した天智の末裔は悲惨であった。

皇族として生まれながら、敗者の子として、日々の食事にも困るほど貧困を極めた。

生まれながらにして、死んだも同然の屈辱と絶望の日々を強いられていた。

逆襲の天智家

が、そんな天智家にも千載一遇のチャンスが巡ってくる。

皇位継承を巡り、天武家が同族同士で殺戮を繰り返し、最終的に即位可能なものがいなくなってしまったのだ。

老人

そこで声がかかったのが天智の末裔であり、重篤な痴呆を煩っていた光仁天皇である。

天武家はボケ老人である光仁天皇が即位している間に、起死回生を狙ったのである。

が、光仁天皇の痴呆は演技であり、即位後、正体を現し、天武家への粛清を開始する。

結果、天武天皇の末裔は徹底的に排除され、歴史から消える事となる。

専制政治が裏目に出たのだ。

一方、天智の血脈は現在まで続いている。

昭和、平成、令和の今上天皇も、天智天皇の末裔である。

月読命の抹殺

光仁天皇の後を引き継いだ天皇。

それが桓武天皇である。

桓武天皇

彼もまた、天武家により屈辱と絶望の日々を強いられた犠牲者である。

桓武天皇は天武天皇を憎んでいた。

絶対に許せなかった。

天武天皇はすでに崩御し、天武の末裔は父の光仁天皇によって排除された。

あとは天武天皇そのものを消せばいい。

ツクヨミ

そこで、外宮の天武天皇(月読命)を抹殺し、豊受大神のみとした。

さらに、古事記・日本書紀から月読命の記載を徹底的に削除した。

当然、月読命を祭る神社も抹殺

現在、月読命を祭る神社が、ほぼ存在しないのは、桓武天皇による報復である。

さらに、桓武天皇は天武天皇が定めた現人神制度すらも拒絶した。

天武が定めた現人神など、とんでもない!

あくまで自分は人間である!

しかも、人間として最上位である。

封禅

その思いから、人としての最上級である皇帝となり、日本初の『封禅祭祀』を行った。

また、皇帝だけでなく、中国思想に没頭し、四聖獣による四神相応を平安京に採用した。

古来より、神が好み、神が坐す白木にあえて塗装を施し、神となった天武を封印した。

朱塗りの平安京は天武への復讐なのだ。

神を殺した皇帝

桓武天皇は天武を憎み、月読命を抹殺した。

神を殺した皇帝。それが桓武なのである。

また、桓武天皇は現人神制度も拒絶した。

桓武天皇は、人として生まれ、

桓武天皇は、人として生き、

桓武天皇は、人として死んでいった。

あくまで『人』としての尊厳を貫いた。

そんな『人』として生きた桓武天皇は現在、

平安神宮

平安神宮に『神』として祭られている。

平安神宮

ご祭神:桓武天皇
京都市左京区岡崎西天王町97

市バス5系統、洛バス100号・110号系統。
岡崎公園美術館・平安神宮前より徒歩5分。