荒子観音寺 前田利家と菅原道真

浄海山円龍寺

前田利家が生まれた荒子城(富士天満宮)のすぐ近くにお寺があります。

寺院の名称は、浄海山圓龍院観音寺

山門

荒子観音寺とも呼びますが、荒子の観音さんとして親しまれています。

創建時はもっと西側に建てられたのですが、興廃の末、現在の場所に再建されました。

前田利家

再建したのは、前田利家

今回は富士天満宮・前田利家の続きなので、前回を読まれていない方は是非~

前田利家の先祖は菅原道真

丑

前田利家の先祖は菅原道真です。

そして、菅原道真は天照大神の子孫であり、埴輪(土師器)の神の末裔でもあります。

そんな菅原道真ですが、太宰府に左遷され、太宰府で亡くなります。

ちなみに、菅原家の家紋は梅鉢紋

美作菅氏

道真が亡くなってから約90年後。ひ孫の子が美作國(岡山)にお引っ越しします。

そして、その子孫が美作國でも大出世をし、美作守(岡山県知事)まで登り詰めます。

さらに、その子が押領使(軍人)となって、武士団を設立。

武士

その名も、美作菅氏(みまさかかんし)

そして美作菅氏から派生した1つ、原田氏が美濃國・前田家の婿養子となります。

そして生まれたのが、前田利家です。

拝殿

ようは、菅原道真の子孫が『前田家の養子』となった。

氏姓は前田だが、血脈は菅原家。

だから、前田利家の先祖は菅原道真であり、家紋も梅鉢紋のままなのです。

和邇氏

前田利家の先祖は菅原道真。

私はこの説を長年信じていました。

疑問

しかしながら、その根底となる美作菅氏には2つの系統があることが分かりました。

まずは、菅原道真の子孫。これはこれまでに記載した通りです。

もう1つは、もともと美作國(岡山)にいた和邇(わに)一族です。

そして、この2つの集合名こそが美作菅氏。

だから、美作菅氏だからと言って、必ずしも菅原道真の末裔とはならないのです。

では、もともといた和邇一族とは何ものなのでしょうか?

太陽の巫女・天造日女命

6代孝安天皇には天足彦国押人命という兄がいました。

そして、その天足彦国押人は丹波國の血脈、天造日女(あまつくるひめ)と結婚します。

彼女は太陽の神に仕える巫女であり、さらに人心掌握術に長ける才女でした。

天照大神

役職は日巫女(ヒミコ)

神祇官の最高責任者です。

この6代天皇の兄と、ヒミコの血を受け継ぐ子孫こそ和邇一族なのです。

古墳

そして、和邇一族は古墳に関する管理監督を仕事としていました。

東大寺古墳は和邇一族の古墳ですが、中から卑弥呼にまつわるものが出てきています。

それは、和邇一族の祖が卑弥呼だからです。

梅鉢紋

和邇一族は時代と共に派生していきます。

それも粟、米、柿、根などの植物にまつわる文字を氏姓に使いました。

美作國の菅氏もその1つ。

そう。

菅とは『すが』ではなくて、植物の『かん』なのです。

梅鉢紋

前田利家も『かん』の末裔。

家紋は植物にまつわる『梅鉢紋

菅原一族美作菅氏
氏姓菅(すが)菅(かん)
仕事古墳の製造古墳の管理管轄
家紋梅鉢紋梅鉢紋

こうして見ると、よく似ていますね。

でも、だからと言って『すが』は『すが』。『かん』は『かん』です。

きゃっほ~

しかし、時代が進むにつれ、情報が交わり、『俺っちの先祖は菅原道真~♪

と誰かが言い出して、子孫がそれを信じて、現在まで受け継がれたのかも知れません。

加賀前田家のその後

前田利家生誕の地

前田一族は菅原道真でなく、皇族の子孫で、6代天皇の兄を祖とする美作管氏の末裔。

そして、戦国時代から前田家の躍進は続き、加賀百万石へと登り詰めます。

金沢工芸品の発展にも貢献します。

東京大学

加賀前田家は江戸に広大な屋敷を設けます。

しかし、地震や火災で、門を除き焼失。

明治政府は、広大な屋敷跡地を活かすべく、新たなものを造りました。

それが…

東京大学・赤門

東京大学です。

有名な『赤門

現在では東京大学の校門ですが、もともとは加賀前田家・江戸屋敷の門なのです。

前田侯爵邸

前田侯爵邸

明治時代、現東京大学の地に居を構えていた前田家は目黒区の駒場に移ります。

昭和初期に絢爛豪華な洋館と和邸を竣工。

しかし、戦後米軍に接収され、昭和39年には東京都が所有者となります。

2013年には国の重要文化財に指定。

これまでいろいろと豪邸を見てきましたが、赤坂離宮に次ぐ豪華さです。

前田という氏姓

日本には多くの姓がありますが、大半の姓は全国的に均一な広がりを見せています。

しかし、明治大正頃までは前田という氏姓は特定の地域で突出して多い傾向があります。

その地域とは、岐阜、名古屋、石川、鳥取

大山

岐阜は、藤原北家の流れを組む元祖前田家。
(美濃國一ノ宮・南宮大社)

名古屋・石川は、美作菅氏系の加賀前田家。
(加賀國一ノ宮・白山比咩神社)

鳥取は中国地方東部を拠点とした美作菅氏。
(美作國一ノ宮・中山神社)

そして、多くの前田家は、加賀前田家に統合されていきます。

さらに、本流であるほどに梅鉢紋、分派ほど下賜された五三桐を使用していきます。

前田利家

学問の神の血を受け継ぐことはなかったが、学問最高峰、東京大学の礎となった前田家。

金沢の工芸品、兼六園や、前田侯爵邸など、文化そのものにも貢献を続けてきた前田家。

もはや、菅原道真の末裔など関係ないほどに前田家は翔華したのではないでしょうか。

まとめ

荒子観音の神明社

菅原道真の末裔と自称し、梅鉢紋を使用する加賀前田家。

しかし、皇族とヒミコの末裔で、美作菅氏の子孫です。

それでも菅原道真にこだわりました。

清和源氏(皇族の子孫)の名称使用を断り、菅原道真にこだわりました。

荒子観音の神明社本殿

しかし、これまでの歴史を追うと、血筋など関係ないことです。

何故なら…

血筋よりも、これまでの足跡そのものが全てなのだから。

参考文献

参考文献

前田一族(日本家系協会)

寛政重修諸家譜(国立国会図書館)

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アクセス

荒子観音寺(浄海山円龍寺)

名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)荒子駅
徒歩10分ほど。