冨士天満社 前田利家と菅原道真
愛知県名古屋市。熱田神宮から西に2㎞ほどいった所に小さな神社があります。
その神社は、冨士大権現天満天神宮。
通称、冨士天満社(ふじてんまんしゃ)
もともとここには荒子城というお城があり、このお城である有名な武将が生まれます。
その武将は、前田利家。
なので、冨士天満社は『前田利家生誕の地』と呼ばれています。
1575年、荒子城は廃城となり、その跡地には菅原道真を祭る天満宮が創建されました。
それが現在の冨士天満社です。
でも…
なんで、前田利家が生まれた場所に菅原道真をお祭りしているのでしょうね?
不思議ですね?
そこで今回は、その謎を冨士天満社の写真とともに解き明かしていきたいと思います。
学問の神・菅原道真
菅原道真は学問の神さまです。
めちゃくちゃ頭がよくて、その頭の良さで、太政大臣(総理)まで出世した神さまです。
でも、その頭の良さを嫉妬され、太宰府へと飛ばされてしまった神さまでもあります。
そして、その恨みから『祟り神』となり…
この流れは、皆さんだいたい知っているとは思います。
ですが、菅原道真の出自そのものはあんまり知られていないのではないでしょうか?
大國主命(オオクニヌシ)の国譲り
菅原道真の出自を知るために、まずは神話の時代まで遡ります。
昔、日本を支配していたのは大國主命です。
縁結びで有名な出雲大社のご祭神です。
ところが、天照大神は…
『日本の王は私の子供なのよぉ~!』
とワガママを宣います。
そこで、国土を譲らせるために、天照大神は自分の子供たちを出雲に降臨させます。
最初に降臨したのは天穂日命(アメノヒホ)
スサノオとの誓約で出来た2番目の子です。
さっそく天穂日命は国を譲るよう迫るも…
『なんか~大國主命って超いい人じゃん!』と好感を持ち、大國主命に寝返ります。
その後、天照大神は何度も神を派遣するも、やはり最後は裏切られます。
すると、天照大神は…
『こうなったら実力行使よぉぉ~!』
と、武力によって出雲を乗っ取ります。
これが古事記・日本書紀にある国譲りのお話です。だいぶデフォルメしてますが…(笑)
出雲大社
その後、天照大神の子孫が『天皇』となり、日本を支配します。
一方、同じ天照大神の子でも、寝返った神は地方に飛ばされます。
最初に裏切った天穂日命もその一人。
出雲大社の宮司に任じられるという名目で、出雲に飛ばされることとなりました。
現在の宮司も天穂日命の子孫です。
相撲の神さま・野見宿禰
12代垂仁天皇の時代、相撲がとても強い力士がいました。
彼の名は、野見宿禰(のみのすくね)
出雲に飛ばされた天穂日命の14世子孫です。
野見宿禰はその強さで全国相撲大会で優勝!
その強さが認められ、垂仁天皇に仕えます。
埴輪の誕生
相撲の神、野見宿禰が仕えた垂仁天皇の時代とは『古墳時代』と呼ばれる時代です。
そして、古墳には被葬者と共に、生きたまま人を埋めるという悪しき風習がありました。
垂仁天皇の同母弟、倭彦命が亡くなった時、垂仁天皇はそういう風習があるのね。
OK~
と気軽に許可を出したのですが…
実際の現場を見ると阿鼻叫喚!
まさに地獄絵図…。
そんな時に、皇后の日葉酢媛命が死去。
いやぁぁぁぁ~~
また生き埋め地獄をやんなきゃダメなの??ヤダ~!!と悩みます。
そんな時、野見宿禰は生き埋めしなくても、土で出来た人形で代用が出来ます!
と提案。
垂仁天皇は大いに歓喜し、以後、土で出来た人形を埋める制度が確立します。
これが『埴輪』の始まりであり、野見宿禰は褒美に土師(はじ)の姓が与えられました。
菅原道真
土師氏は埴輪を作るだけでなく、頭脳明晰。政治の世界でも躍進を遂げます。
そして、50代・桓武天皇の時に、その功績で菅原の姓が与えられました。
この菅原氏の中で突出して優秀だった人物。それが菅原道真なのです。
祟り神・天神の正体
菅原道真は太政大臣まで登り詰めましたが、太宰府に飛ばされ、そこで亡くなります。
そのため、非業の死と言われ、その恨みから天神(祟り神)となってしまいました…
しかし~!!
実際は…
そろそろ休みたいよ~
え? 地方に転勤? 超ラッキー♪
てな感じで、悠々自適な老後ライフを送っていました。
延喜3年2月25日、菅原道真死没。
ご遺体をお墓まで牛車で運んでいたところ、途中で牛車が動かなくなりました。
しかたなく、そこに道真を埋めたのですが、その場所が今の大宰府天満宮です。
ちなみに死没したのは、丑年、丑月、丑日!さらに生まれたのも丑年。
なので、天満宮 = お牛さま、なのです。
前田利家への接続
菅原道真が亡くなってから時代が進み…
室町時代、菅原道真の子孫が美濃國(岐阜)の前田一族の婿養子となります。
以後、養子となった末裔は『前田』となり、さらに尾張國へ移住。
そして、尾張(名古屋)で前田利家が誕生。
この後、一介のサムライだった前田一族は、加賀百万石へと躍進を遂げます。
この発展のもと、前田利家が生まれた荒子城に祖霊である菅原道真を祭る神社を創建。
だから、前田利家の生まれた荒子城に祖神の菅原道真を祭る天満宮があるのです!
血脈一覧
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天穂日命(出雲大社宮司)
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野見宿禰(大相撲の祖神)
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土師一族(埴輪の祖)
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菅原道真(太宰府天満宮)
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前田利家(名古屋)
血脈の信憑性
加賀國では天満宮の数が非常に多く、また、菅原道真の像を飾る風習があります。
その理由も前田利家の先祖は菅原道真だからです。
ただし…
利家が活躍するまで一介の侍に過ぎなかった前田一族に家系図があったのでしょうか?
古代から続く血脈をちゃんと後世に残すだけの力があったのでしょうか?
正直、かなり懐疑的です。
そこで系譜をあらためて調べてみたところ…
もっと面白いことが分かりました。
↓ 後編に続く!
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アクセス
冨士大権現天満天神宮(前田利家生誕の地)
名古屋臨海高速鉄道(あおなみ線)荒子駅
徒歩15分ほど。