欠史八代 ニギハヤヒの契約(下巻)

欠史八代

今回も欠史八代(けっしはちだい)についてお送り致します。

なお、前回の概要は…

欠史八代は実在する。
かつて、伊國は日本最大の国であった。
伊國は、弱小国(九州)の手に落ちた。
その背景にニギハヤヒの契約があった。

です。

上巻を読まれてない方は…

を是非ご覧下さい♪

契約の内容

弱小国でありながら大国・伊國を陥落させた九州王朝。

しかし、実力で成し得た訳ではありません。ニギハヤヒの契約があってのことでした。

ニギハヤヒ

しかし、ニギハヤヒの契約があるからこそ、2~9代天皇の歴史は抹殺されたのです。

この抹殺された歴史の事を欠史八代と言い、その中には卑弥呼邪馬台国もあるのです。

では、その契約とは何なのか?何故、歴史は消されたのか?その謎を紐解いて行きます。

象徴としての天皇

まず、ニギハヤヒの契約とは…

天皇は九州の『神武』とする。
天皇は『神武の子孫』が受け継ぐ。
天皇は『外交上の顔』に過ぎない。
したがって国家運営の権利はない。

また…

国政は『皇后家』が握るものとする
皇后は『伊一族』であることが条件
最高責任者は皇后の兄か、または父

つまり…

天皇は表向きは最高権力者として振る舞い、漢帝国への橋渡しの役割を全うする。

天皇の皇后を輩出する伊一族は表向き家臣でありながら、実際は国家運営を行なう

外交上のトップ = 天皇(国家の象徴)
事実上のトップ = 伊一族

これを厳守する限り、神武天皇の王国である弱小国・九州王朝の存続は保証される。

と言うことです。

実在した欠史八代の歴史

契約は実行されます。

伊一族は、神武天皇に娘の媛蹈鞴五十鈴媛を嫁がせ、国家運営権を握ります。

媛

神武政権時、国家の最高責任者は皇后の兄、賀茂別雷大神。

賀茂別雷大神は、始祖・五十猛神から続く、伊本家三代目当主。

神武天皇は、契約通り国家運営に関わらず、外交上の顔としての責務を果します。

続柄名前
国家の王賀茂別雷大神
皇后媛蹈鞴五十鈴媛
外務大臣天皇神武天皇

このことを先代旧事本紀:天皇本紀では…

其申食國政大夫者、今之大連、亦云大臣也。但天日方奇日方命者、皇后之兄、大神君祖也。

と伝えています。

漢帝国~日向國

この契約により、伊は神武を介して漢帝国の後ろ盾を得て、九州は争うことなく存続。

伊國~狗奴國

そして…

① 西日本の大半を支配下に置く伊一族
② 伊一族の属国である神武の九州王朝
③ 伊一族と敵対する狗奴國

この三国が天下を分けることとなります。

二代・綏靖天皇

賀茂別雷大神には、年の離れた腹違いの妹、五十鈴依媛命がいました。

二代綏靖天皇は、五十鈴依媛と結婚します。
(腹違いは血が濃くなるのを防ぐため)

国家運営権は引き続き、の賀茂別雷大神。

三代・安寧天皇

三代安寧天皇は、渟中底姫と結婚します。

渟中底姫とは、賀茂別雷大神の娘。

国家運営権は皇后の、倭宿禰命。

外務大臣国家の王皇后家
初代神武天皇皇后の兄伊一族
二代綏靖天皇皇后の兄伊一族
三代安寧天皇皇后の兄伊一族

その後も国政は伊一族の子孫が担い続けて、天皇は『国家の象徴』として存在し続ける…

ハズでした…

第一次・倭国大乱

戦争

2世紀後半。

三代安寧天皇には孝昭と、懿徳という2人の息子がいました。

このどちらかが天皇となるハズでしたが…

名前後見人
孝昭伊一族が推す
懿徳物部氏が推す

という、国を二分する出来事が起きます。

通常、皇位は親子間で引継がれて、同時期に天皇は1人しか存在しません。

しかし、伊一族と物部氏の権力争いにより、それぞれ同時期に天皇を擁立したのです。

四代・懿徳天皇(五代と同時代)

物部氏は伊一族の当主を拉致監禁し、強引に懿徳(弟)を天皇としてしまいます。

その間に、物部は用済みになった伊の当主を葬り、亡骸を奈良県の布留山に埋めます。

犠牲者は6代当主・笠津彦。

ここに五十猛神から始まる伊一族の直系は、6世代で絶えることになります。

出雲大社

古事記・日本書紀ではスサノオの6世である大國主命が自決したと記載しています。

素戔鳴尊、以爲妃而所生兒之六世孫、是曰大己貴命。天神勅教、慇懃如此。敢不從命乎。吾所治顯露事者、皇孫當治。吾將退治幽事。

五代・孝昭天皇(四代と同時代)

物部氏に対抗すべく、伊一族は孝昭(兄)を天皇として擁立します。

その間、戦乱は激化の一途をたどります。

このことを後漢書東夷伝では…

70~80年、男が国を支配していたが、倭国は大いに乱れた。

と記載しています。

外務大臣国家の王皇后家
初代神武天皇皇后の兄伊一族
二代綏靖天皇皇后の兄伊一族
三代安寧天皇皇后の兄伊一族
四代懿徳天皇出雲色命物部氏
五代孝昭天皇皇后の兄伊一族

内戦が終息しないまま、孝昭天皇は崩御。

皇位は二人いる息子のうち、弟の孝安天皇が六代天皇として引き継ぎます。

六代・孝安天皇

孝安天皇には、年の離れた天足彦国押人命という兄がいました。

そして、その天足彦国押人は賀茂別雷大神の次男から続く伊一族の娘を娶ります。

天照大神

兄の妻は『太陽の神に仕える巫女』であり、さらに人心掌握術に長ける才女でした。

彼女の名は、天造日女命(あまつくるひめ)

役職は日巫女(ひみこ)

神祇官の最高責任者です。

平和

天造日女はその人心掌握術を駆使し、ついに戦乱を終結させてしました。

その間、天造日女の夫が死去。

未亡人となった天造日女は義弟・孝安天皇と共に国を納めます。

このことを後漢書東夷伝では…

70~80年、男が国を支配していたが、倭国は大いに乱れた。
そこで、鬼道を用いる卑弥呼を擁立し、共に王とした。

また、魏志倭人伝では…

既に長大だが、夫は無く男弟がおり、補佐して国を治めている。

と記載しています。そして、その真意とは…

ヒミコは、結婚したが夫は亡くなった。
ヒミコは、六代天皇と共に国を治めた。
六代天皇は、ヒミコの義理の弟である。

と言うことです。

第二次・倭国大乱

漢帝国~日向國

長き戦乱の世が続いていた間、漢は滅亡し、魏・呉・蜀の三国志に突入していきます。

しかも、中国との窓口である朝鮮半島では、中国と敵対する公孫淵が支配。

その為、狗奴國との紛争に、中国大陸からの支援が得られず、天造日女は苦戦します。

戦国時代

しかし、234年。

五丈原の戦いで、蜀の諸葛亮孔明が陣没したのを期に、魏が勢いを増します。

さらに魏の司馬懿仲達が朝鮮半島を支配する公孫淵を征討

このことで『中国(魏)への道』が開かれることとなるのです。

七代・孝霊天皇

西暦238年(景初2年)

天造日女は『』に使者を送り、親魏倭王に任じられます。

西暦247年(正始8年)

狗奴國との紛争に、天造日女は救援を求め、は軍隊を派遣します。

幼子

この間、六代孝安天皇が崩御し、幼い孝霊が七代天皇として即位。

天造日女は幼い孝霊天皇を補佐します。

続柄年齢
天造日女叔母老婆
七代孝霊甥子少年

このことを魏志倭人伝では…

男子一人がいて、飲食を給し、辞を伝え、居所に出入する。

と伝えています。

天照大神の岩戸隠れ

西暦247年3月24日

天造日女が亡くなります。

幼き孝霊を残したまま…

日蝕

その日の夕刻、西日本を中心とする皆既日蝕が起き、日が戻らないまま夜に突入

古事記・日本書紀では、太陽が消えてしまう天照大神の岩戸隠れとして記載しています。

墓陵は奈良県西部の生駒市~御所市。

八代・孝元天皇

太陽が消えたことに国中は大混乱!しかも、天皇はまだ少年!

この絶好のチャンスを物部氏が逃す訳がありません。

物部氏は七代・孝霊天皇を引きずり下ろし、傀儡である孝元を八代天皇として擁立。

戦乱

しかし、この物部氏の強引なやり方に民衆は従わず、再び戦乱が勃発

このことを、魏志倭人伝では…

卑弥呼の死後、再び男の王を立てたが、国中が服さず、戦乱が起きた。

と伝えています。

九代・開化天皇

契約

戦乱を終息させる為、孝元天皇を退位させ、孝元の子を九代天皇として即位させます。

さらに、契約にもとづき、九代・開化天皇に竹野姫を娶らせます。

竹野姫は『天造日女の親族』で伊一族の娘。この時、竹野姫は若干12歳。出身は丹波國。

皇族と伊國の婚姻関係は復活を果し、長きに渡った戦乱は収まることになりました。

皇后皇后家
八代・孝元天皇欝色謎物部氏
九代・開化天皇竹野姫伊一族

このことを魏志倭人伝では…

卑弥呼の死後、再び男の王を立てたが、国中が服さず、戦乱が起きた。
そこで卑弥呼の宗女台与を共に擁立すると国は治まった。

と記載しています。

欠史八代(二代~九代)までの流れ

欠史八代

二代・綏靖天皇の時、伊一族が統治。

三代・安寧天皇の時、伊一族が統治。

しかし、物部氏の台頭によって内乱が起き、第一次・倭国大乱が勃発。

二人の天皇(懿徳と孝照)が同時に即位。

天照大神

五代~六代、倭国大乱は継続。

その間に、伊一族本家、滅亡。

天造日女によって内乱が終息。

日蝕

西暦248年、天造日女が死去。

西暦248年、皆既日食。

七代・孝霊天皇、物部によって強引に退位。

八代・孝元天皇、物部によって強引に即位。

国民が反発し、第二次・倭国大乱が勃発。

交渉

第二次・倭国大乱を終息させる為、物部氏は八代・孝元天皇を退位させる。

開化天皇が即位。伊一族を娘を娶ることで、内乱は終息する。

が、しかし…

ニギハヤヒ誕生

祟り神

伊一族と天皇家の婚姻関係が復活する裏で、物部氏は再び計略を仕掛けます。

まずは、物部氏の血と継ぐ伊香色謎を天皇に嫁がせ、強引に皇后とします。

竹野姫(伊) → 伊香色謎(物部)

さらに、開化天皇と伊香色謎の間に誕生した物部氏の血を継ぐ崇神を天皇に擁立します。

その崇神は物部氏の血を継ぐ娘を皇后とし、物部氏の血を継ぐ子を皇太子とします。

続柄家系
伊香色謎崇神の母物部氏
御間城姫崇神の妻物部氏
垂仁天皇崇神の子物部氏

十代・崇神天皇

苦悩

崇神天皇は、物部氏の母から生まれ、
崇神天皇は、物部氏の女性と結婚し、
崇神天皇は、物部氏を皇太子とした。

つまり、物部氏から誕生した初の天皇

国政は『皇后家』が握るものとする
皇后は『伊一族』であることが条件
最高責任者は皇后の兄か、または父

その間、物部氏は敵対勢力を大半を排除し、国家運営権をほぼ独占してしまいます。

その崇神天皇の御代、甚大な被害をもたらす天変地異が起きます。

隕石

崇神天皇は直感します。

祟りだ…

神に祟れた天皇。それが崇神天皇

慌てふためいた崇神は統一国家を樹立させた伊一族の魂を鎮める為、神社を創建します。

石上神宮

場所は、物部氏に殺された六代笠津彦が眠る奈良県天理市の石上神宮

祭神は五十猛神、事代主命、賀茂別雷大神、倭宿禰、笠水彦、笠津彦の六代・六柱。

神名は、ニギハヤヒ

飛鳥時代

その後も、物部氏は反乱を繰り返しますが、最後は蘇我氏(聖徳太子)に滅ぼされます。

蘇我氏は徐市の末裔であり『ニギハヤヒ』に繋がる一族です。

第一次・倭国大乱以降、伊一族・本家の血は途絶えてしまいましたが…

伊一族(五十猛神の子孫:丹波國系)
物部氏(五十猛神の孫:宇摩志麻遅系)
尾張氏(賀茂別雷大神の次男系:熱田神宮)
三輪氏(賀茂別雷大神の分家:大神神社)
蘇我氏(徐市系:駿河國造家)

いずれにせよ『ニギハヤヒに繋がるもの』が国家の運営を担い続けました。

資格なき逆賊

西暦645年。飛鳥宮に悲鳴が響き渡ります。

声の主は35代皇極天皇。

大化の改新

重臣、蘇我入鹿が目の前で殺されたのです。

首謀者は藤原鎌足。大化の改新です。

欠史八代の抹殺

大化の改新後、一度没落するも、鎌足の子である藤原不比等がトップに返り咲きます。

さらに藤原不比等は、孫娘を天皇に嫁がせ、藤原家の永続的な繁栄を画策します。

しかし、藤原家はニギハヤヒの血を継がない『主権の資格なきもの

そして、この時代に完成したのが…

古事記・日本書紀

古事記・日本書紀です。

皇后を輩出し、権力を握らんとする不比等にとって『主権の資格』は都合が悪い。

そこで『主権の資格』に関する内容を削除。

欠史八代

とりわけ、主権の資格が最も関与する時代、つまり『欠史八代』を削除。

また、本来『伊』と使うべき文字を『五十』と改竄をし『伊一族』を歴史から抹殺。

我々の知る古事記・日本書紀は削除された後の内容でしかないのです。

女性天皇

平安時代。

それは藤原家全盛の時代。

そして、女性天皇が次々と誕生した時代。
さらに、女性天皇が生涯独身だった時代。

一体何故でしょう?

女神

答えは簡単。

女性天皇に皇后は不要だから。
生涯独身だと夫も不要だから。

そして、生涯独身の女性天皇がいる限りは、資格なきものが入り込む余地はないから。

万世一系とは、神武系以外の男性を徹底的に排除してしまうシステム。

それが絶頂を極めた藤原家であったとしても排除してしまうシステム。

事実、藤原家そのものは最後まで『皇族』となることは出来なかった。

皇居

その代わり、品格さえあれば、どんな女性も皇族(皇后)として受け入れる。

そう。

神のトップが天照大神(女神)であるように皇族は決して男尊女卑ではないのです。

ニギハヤヒの神威

欠史八代。

それは丹波國から始まる伊一族と物部氏との覇権争いの時代でした。

その後、藤原家の台頭以来『主権の資格』は破棄され続けます。

ですが『象徴としての天皇』という契約は、今なお守られています。

ニギハヤヒ

世界で最も歴史が長い国、日本。

それはニギハヤヒの神威が今なお及んでいるからかも知れません。

謝辞

富士山

欠史八代へと接続する先代旧事本紀の研究に時間を費やした祖父。

さらに、その研究書を令和まで残してくれた父に感謝し、この記事を捧げます。

参考文献

参考文献

ニギハヤヒ   戸矢学  河出書房新社
海部氏系図   神道大系
日本書紀    講談社学術文庫
古事記     岩波書店
風土記     角川ソフィア文庫
先代旧事本紀  批評社
史記      ちくま学芸文庫
三國志     ちくま学芸文庫
魏志倭人伝   岩波書店