欠史八代 ニギハヤヒの契約(上巻)
欠史八代(けっしはちだい)とは、失われた歴史のことをいいます。
何だか『失われたアーク』みたいで格好いいですね!
そして、欠史八代の『八代』とは、第2代~第9代天皇までの8代分の天皇を指します。
だいたい2~3世紀ころですね。
そして、古事記・日本書紀には、この時代のことがほとんど書かれていません。
天皇、皇后、子供の名前がつらつらと書いてあるだけです。
名前の記載だけで、この時代にどんなことが起きたのかが全く書かれていません。
八代分の歴史が完全に欠損しているのです。これが『欠史八代』と言われる理由です。
しかし、八代分の名前は残っているのだから実在した!
いやいや、ウソだ!本当は存在しなかった!あとで創作したニセモノだ!
そんなことない!実在したんだ!邪馬台国や葛城王朝がその根拠だぁ~!
なんて、色々な議論が交わされていますが、結局、分からないことだらけなのです。
欠史八代に関する資料
古事記・日本書紀には、天皇、皇后、子供の名前しか書かれていません。
しかも、本当かウソなのか、実在したのか、創作なのかも全く分かりません。
しかし、古事記・日本書紀を補完する資料が存在します。
それが、古代豪族の系譜(家系図)です。
古代豪族の系譜
2~3世紀に存在したのは天皇一族だけではありません。当然、他の一族も存在します。
そこで、欠史八代のことを記載するために、古代豪族の系譜を徹底的に調べました。
古代豪族の系譜と、天皇家の系譜の整合性が取れれば欠史八代が証明が出来るのです!!
そして、その結果…!!!
天皇家につながることが出来ませんでした…
む、無念…
中国の歴史書
まともな資料が日本国内には存在しません。
ですが、中国の歴史書(漢書、三国志など)には日本に何が起きたかが書かれています。
例えば、後漢書東夷伝によると、
そこで、鬼道を用いる卑弥呼を擁立し、共に王とした。
また、三国志魏志倭人伝によると、
そこで卑弥呼の宗女(血縁)台与を共に擁立すると国は治まった。
と、書かれています。
このことから、
1、2~3世紀は、戦乱が続く時代だった。
2、戦乱は続いたが、王は存在した。
3、男の王もいたが、女の王もいた。
4、女の王は、卑弥呼と台与。
さらに、
5、卑弥呼は、独身だが弟はいた。
6、卑弥呼には台与という親族がいた。
いうことが中国の資料から分かるのです。
しかし、この資料を持ってしても、欠史八代の天皇のことはよく分かりません…
そう…
京都で『あれ』が発表されるまでは…
海部氏系図
1975年、日本の歴史をひっくり返す大事件が京都北部(丹波國)で発表されます。
それが『海部氏系図』です。
この系譜は1200年の間、丹波國一ノ宮である籠神社で極秘に引き継がれたものです。
あくまで海部氏の系図でしかないのですが、嫁ぎ元、嫁ぎ先も明記されています。
この嫁ぎ元、嫁ぎ先と、古代豪族の家系図はほぼ整合性が取れるのです。
さらに!
その中には、何と天皇と結婚した皇后の名前も記載されているのです。
また、皇后が生んだ子供が嫁いだ古代豪族の家系図とも整合性が取れるのです。
もちろん1つの豪族だけではなく、かなりの豪族の系譜と整合性が取れるのです。
当然、失われた『欠史八代』を含めて!
では、ここから失われた古代史の謎に迫って行きましょう!
巨大国家・伊國の誕生
紀元前3世紀頃。中国では秦の始皇帝による圧政が続き、国民は苦しんでいました。
徐市(ジョフツ)もその一人。
徐市は知的階級に属する人間で、頭の回転も速く、あらゆる知識に精通していました。
そこで、その頭脳を活かし、年を重ね、死に怯える始皇帝に計略を仕掛けます。
不老不死の妙薬がある場所を知っています。それを献上するので、旅費が欲しい…と。
死に怯える始皇帝は歓喜し、常識を逸脱する大金を徐市に渡してしまいます。
徐市はその金で準備を整え、中国から脱出。
(史記:淮南衡山列伝)
目的地は蓬莱山がある日本。
徐市は済州島(チェジュトウ)を経由して、島根半島に上陸します。
その当時、日本はまだ原始的な時代。
突如現れた徐市に警戒するも、同時に徐市が持つ知識・技術に人々は飛びつきます。
その結果、島根~鳥取の生活レベルが一気に向上し、人々は徐市を崇め称えはじめます。
その後も自らが持つ知識と技術を求められ、いつしか徐市は王となっていました。
これが出雲王朝の始まりです。
始祖・五十猛神
徐市には多くの子孫がいましたが、その中に日本の歴史に関わる人物が誕生します。
その名前は五十猛神(イソタケル)
彼もまたあらゆる知識に精通し、その知識を多くの国々に求められました。
その1つが京都北部(丹波國)
その当時、丹波國はまだ農業技術が未熟で、常に食糧難に喘いでいる状況でした。
そこで五十猛神は食料を与えるだけでなく、農耕技術を授け、発展に尽力します。
その結果、京都北部は大量の稲が実るまでに発展しました。
丹波とは、豊作をもたらす田庭(たんば)が由来です。
人々はこの発展に歓喜をし、五十猛神もまたいつしか王となっていました。
さらに、その偉業は代々引き継がれていき、死後、豊作の神として祭られます。
神名は豊受大神。丹波最大の神です。
(丹後國風土記)
2代・事代主命
五十猛神は生前、丹波の天道日女と出会い、結婚しました。
彼女もまた農耕の発展に尽くし、豊作の神として祭られることになります。
神名は三穂津姫(みほつひめ)
島根県の美保神社、京都北部の出雲大神宮に祭られています。
(海部氏系図:始祖彦火明命)
さらに、五十猛神と三穂津姫の間には子供が生まれました。
その子の名前は事代主命(ことしろぬし)
(先代旧事本紀:地祇本紀)
事代主命もまた国家発展のために、琵琶湖を経由し、畿内へ進出します。
そこで運命を出会いがあることも知らずに…
3代・賀茂別雷大神
事代主命が淀川(大阪)を下っている時に、ある一人の美女と出会います。
彼女の名は玉依姫命。大阪の北部を支配する加茂家の一人娘。
事代主命と玉依姫命はお互いに惹かれ合い、二人は結ばれます。
玉依姫は運命の人と『河で合った』ことから河合神社(下鴨神社)で祭られています。
さらに二人は一男一女が生まれました。
(先代旧事本紀:地祇本紀)
男児の名は、賀茂別雷大神。
のちに上加茂神社に祭られる神。
(釈日本紀:巻第九)
女児の名は、媛蹈鞴五十鈴姫命。
のちに神武天皇の皇后となる神。
(日本書紀:神武天皇)
この時、領土は西日本の大部分を占め、当時最大の国家となっていました。
また、氏姓を『伊』と改め、国名も『伊國』と命名しました。
五十猛神の血脈(島根と京都北部)
↓
初代 五十猛神(京都・籠神社)
妻 三穂津姫(島根・美保神社)
↓
二代 事代主命(島根・美保神社)
妻 玉依姫命(京都・河合神社)
↓
三代 賀茂別雷大神(上加茂神社)
三代 媛蹈鞴五十鈴媛命(神武の妻)
天下三分の計
日本最大の国となった伊國には2つの問題を抱えていました。
1つは2番目に大きい東北の狗奴國(くな)からの侵攻。
負けることはなかったが、その被害は決して少なくない状況。
そこで、大国である中国・漢帝国の後ろ盾がどうしても欲しかった。欲しかったが…
それを得るには大きな問題がありました。
それが『九州王朝』の存在。
弱小国であり、いつでも潰せる相手ですが、九州王朝は漢帝国と既に同盟関係。
同盟欲しさに攻めれば漢帝国の報復に合う…
だが、同盟がなければ狗奴國からの攻撃が…
伊國は行き詰まっていました。
九州王朝の悩み
一方、九州王朝も2つの問題がありました。
1つは、伊國の存在。
そこで玄界灘を渡り、漢帝国と同盟を結び、手出し出来ないよう手を打ちます。
しかし、4代和帝の代に入ってから、完全に属国扱いを受けることに…
このままでは漢帝国に乗っ取られる…。
対等な関係を結べるだけの強い力が欲しい…しかし、伊國を攻めるだけの力はない。
九州王朝もまた行き詰まっていました。
漢帝国の事情
一方、漢帝国にも問題山積でした。
義母一族や宦官の専横が続き、皇帝だけでは抑えが効かない状況だったのです。
そこで、内部改革はもちろん、大国と同盟を結び、外圧からも国を変えようと考えます。
強い大国との同盟が欲しい。近隣諸国ならば影響力が大きく、なおいい。
だが、そんな国家は存在しない。
漢帝国もまた行き詰まっていました。
三国の思惑
伊國は漢帝国との同盟を結び、狗奴國からの侵攻に備えたい。
九州王朝は伊國との戦争を避けつつ、国家の安泰を図りたい。
漢帝国は強い大国との同盟を結びたい。
しかし、お互い動きたくても動けない。
そんな膠着した状況の裏で、天下三分の計がちゃくちゃくと進んでいきます。
ニギハヤヒと結んだ契約
西暦107年。九州王朝の使者が来訪します。
漢帝国はその報告に驚愕します。
その驚くべき内容とは…
九州王朝は、日本の覇者となった。
新たな王は神武天皇(元:九州王朝)
改めて同盟を結びたい。
と。
あの弱小国・九州王朝が、伊國を陥落させ、日本の覇者となったとは…。
しかし、一体どうやって…???
だが、大国の誕生は喜ぶべきこと。漢帝国は改めて同盟を結びます。
抹殺された真実
当然、九州王朝の力だけで伊國を陥落させることは出来ません。
その裏には『ニギハヤヒの契約』があったのです。
では、その『ニギハヤヒの契約』とは何か?
そもそも、『ニギハヤヒ』とは誰なのか??
後半(下巻)に続く!
まとめ
かつて、伊國は日本最大の国であった。
伊國は弱小国の九州王朝に陥落させられた。
その背景にニギハヤヒの契約があった。
参考文献
ニギハヤヒ 戸矢学 河出書房新社
海部氏系図 神道大系
日本書紀 講談社学術文庫
古事記 岩波書店
風土記 角川ソフィア文庫
先代旧事本紀 批評社
史記 ちくま学芸文庫