富士山本宮浅間大社 浅間大神の正体

富士山本宮浅間大社

富士山本宮浅間大社(せんげんたいしゃ)は富士山の麓に鎮座する神社です。

太古から続く長い歴史と、篤い信仰があり、世界文化遺産にも登録されるスゴイ神社!

さらには、現存する最古にして最大の聖地、山宮浅間神社もある素晴らしきご聖域!

そんな富士山本宮浅間大社を、写真と共に、見どころや歴史などをお送り致します♪

富士山本宮浅間大社の見どころ

朱塗りの壱之鳥居

富士山本宮浅間大社のアクセスは、身延線の富士宮駅から徒歩15分ほど。

朱塗りの壱之鳥居と共に、数年前に竣工さた富士山世界遺産センターが見えてきました。

何だか、とっても近未来的ですね。

この施設は、富士山の保護・保存とともに、学術調査機能を目的に建てられたものです。

楼門

そして、鳥居の先にあるのが…

楼門

朱塗りの立派な楼門。

2階建ての大きな楼門で、正門扉の左右には随神さまが安置されています。

この楼門は、江戸時代に起きた巨大地震でも耐え抜いたスゴい建物!

日本建築の素晴らしさを感じられます。

鉾立石

楼門の正面には『鉾立石(ほこたていし)』と呼ばれる石があります。

この鉾立石は、神さまが宿る『鉾(ほこ)』を立てる専用の石。

神さま専用なので、さわっちゃダメですよ~

拝殿・本殿

御社殿

楼門の先にあるのが、これまた立派な拝殿。

徳川家康造営によるもので、楼門と同じく、巨大地震にも耐えたスゴい拝殿。

修復修繕はしているものの、建造当時の姿をそのまま残している貴重なものです。

多くの寺社が火災や地震で失われていく中、これは奇跡的なことではないでしょうか?

本殿

こちらは側面から映した写真。

二重楼閣造りという2階建ての建物であり、めちゃくちゃ大きいです。

当然、国指定の重要文化財!

本殿が2階にあるので、なんだか神さまが、天守閣にいるお殿様のようです。

拝殿

富士山本宮浅間大社では…

木花開耶姫(女神)

この姫神さまをお祭りしています。

そして、木花開耶姫の『別称』を浅間大神としていますが…

千木・鰹木

千木・鰹木を見る限り、男神なので…

主祭神:浅間大神(男神)

これが真実ではないでしょうか。

境内図

境内図

富士山本宮浅間大社は歴史がある神社の為、沢山の摂社・末社があります。

全部をご紹介すると大変なことになるので、お気に入りのものを掲載します。

三之宮浅間神社

三之宮浅間神社

まず、社殿の左にある三之宮浅間神社。

浅間大神には18柱の子孫がいたと言われ、3代目の浅間第三御子神が鎮座しています。

でも…第三御子神って誰だろう?

七之宮浅間神社

七之宮浅間神社

御社殿の右にある七之宮浅間神社。

こちらも社名通り。7代目の浅間七御子神をお祭りしています。

ただ、第三御子と同じく、詳しいことは一切不明です。

湧玉池に浮ぶ厳島神社

厳島神社

富士山の水が流れる湧玉池(わくたまいけ)

市杵島姫神をお祭りする厳島神社とともに、お水がめちゃくちゃ綺麗!

昔は、湧玉池で禊ぎしてから富士山へ登っていたそうです。

お水取り

また、湧玉池は何層もなる溶岩を通過した、富士山の天然の雪解け水。

その為、富士山のミネラルもたっぷり!

お水取りにも最適です。

天神社

天神社

受験の神、菅原道真をお祭りする天神社。

九州の太宰府天満宮、京都の北野天満宮でもお馴染みですね。

社殿を見上げるように座っているウシさんも素敵です。

火山弾

火山弾

富士山が噴火した時に、溶岩が空高く舞い、落下してきた火山弾

ある意味、ご神体そのものと言えます。

でも、こんな大きな石が空から降ってきたらシャレにならないですよね…

でも…

大噴火

実際に降ってきたのです。

しかも、雨あられのように…

最古の聖地・山宮浅間神社

富士山

今より約10万年前。静岡と山梨の県境にある小さな山が噴火活動を開始しました。

その活動は収まる事なく、噴火を繰り返し、少しずつ成長し、大きな火山となりました。

さらに縄文時代には、火口が移動し、やがて2つの峰を持つようになります。

そうです。縄文人が知っている富士山とは、ツインピークの山だったのです。

大噴火

しかし、2900年前。新しい方の峰が崩壊し、さらに、爆発的な噴火活動が始まります。

その勢いはすさまじく、巨大な岩を伊豆まで吹き飛ばすレベルだったのです。

さらに、平安時代には溶岩流が山梨を襲い、巨大な湖を埋没させています。

江戸時代には南海トラフ地震と共に噴火し、その被害は甚大なものでした。

祈り

かつて、すべての出来事は神の恩恵・祟りと考えられていました。

富士山による災害もしかり。悪いことをしたから、神が怒ったのだと考えていました。

その為、人々は日々の行動を改めると共に、富士山の怒りを鎮めるため斎場を設けます。

それが富士山信仰の始まりです。

山宮浅間神社の鳥居

現存する最古の富士祭祀場は、本宮から北へ6キロ登った場所。

社名は、山宮浅間神社

富士急行バスを使えば近くまで行けますが、それでも停留所から2キロは登ります。

山宮浅間神社の参道

かつて、知る人だけが知る祭祀場でしたが、世界遺産登録後はかなり整備されました。

それでも『アクセスが良い』とは言い難く、軽い気持ちで来ようとするものを拒む聖地。

しかし、それだけの素晴らしい神気と威厳が感じられます。

山宮浅間神社の境内

山宮浅間神社には拝殿・本殿といったものが一切ありません。

過去何度も建てようとしたものの、その度に大風の被害に合い、崩壊したからです。

それ故、拝殿・本殿はなく、創建時のままの現代まで原始的な形を留めているのです。

そして、この先にあるのが…

浅間大神が坐す聖地

遥拝所

大噴火による溶岩流が最後に止まった場所。

現世と霊界との境界線

富士山信仰における最古にして最大の聖地。

山宮浅間神社における遥拝所です。

山宮浅間神社のご神体

そして、祭壇上に置かれた溶岩石。

これが、荒ぶる浅間大神の依り代です。

荒ぶる浅間大神

富士山の大噴火

浅間大神は荒ぶる神です。

過去幾度も、山林を枯らし、水を蒸発させ、人が生きては行けない状況に陥れています。

浅間大神は、多くの命を奪ってきた神です。

富士山と湖

しかし、命を奪うのと同時に、肥沃な土壌、潤沢な水源によって、命を与えてきました。

さらに、豊富な鉱物資源という恵みを与え、生活を支えてきました。

浅間大神は、命を奪いもするが、与えもするのです。

溶岩流

素戔嗚尊スサノオの泣く状は、青山は枯山如す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。
是を以ちて悪ぶる神の音、狭蝿如す皆満ち、万の物の妖悉に発りき。

古事記によると、素戔嗚尊は荒ぶる神です。

号泣と共に山林を枯らし、河海を蒸発させ、人が生きては行けない状況に陥れています。

素戔嗚尊も、多くの命を奪ってきた神です。

稲作

大宜都比売神オオゲツヒメを殺しき。
故、殺さえし神の身に生れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰に麦生り、尻に大豆生りき。

しかし、命を奪うと同時に、生命の根幹たる稲、粟、豆、麦を生み出しています。

さらに、繊維産業を支え、多くの木を植え、緑豊かな国土を生み出しています。

素戔嗚尊も、命を奪いもするが、与えもするのです。

富士宮駅からの富士山

富士山から授かる『多大なる恵み』

富士山から受ける『死への恐怖心』

それに対する畏敬の念が富士山信仰における本来の姿であり、そこに名などありません。

山宮浅間神社の鳥居

しかし、弥生時代…ある人物が富士山と供に祀られるようになります。

そして、富士山と一体化をしたある人物は、いつしか浅間大神と呼ばれ始めます。

さらに、平安時代には、三貴神の一柱である素戔嗚尊という名を与えられます。

そう!浅間大神とは、素戔嗚尊のことです。

遥拝所

しかし…

富士山と一体化をした『ある人物』の存在。さらには『富士山』そのものの存在。

これを素戔嗚尊という新たな名の代わりに、歴史上から隠蔽されることとなったのです。

古事記が隠蔽した人物

橿原神宮

神武天皇は、日本を初めて統一した王です。

しかし、その伝承を描いた古事記の内容は、西日本のことに終始しています。

その為、東日本にある【富士山】のことなど一切触れていません。

鉾立石

神武東征後の伝承も、ほぼ西日本に終始し、ある男と一体化した富士山を隠し続けます。

日本武尊ヤマトタケルが畿内と関東を往復した時でさえ、富士山のことを一切記載していません。

さらに、古事記だけでなく、日本書紀すら、日本の名峰について記載を避けています。

では、何故、大和朝廷は富士山をひたすらに忌み嫌い、避け、隠し続けるのでしょう?

富士山

それは、海を渡り、広い平野と湿地を得て、大国の王となった人物。

やがて、大和朝廷に国を奪われ、天皇を祟る浅間大神と恐れられた国王。

さらに、古事記・日本書紀の編纂において、素戔嗚尊という名で歴史から消された神。

神武天皇を『初めての覇者』とするために、最も不都合となる人物

欠史八代

日本初の統一王、徐福

彼が眠る御陵が、富士山だからです。

富士山本宮浅間大社の写真

↓クリックで拡大、左右で移動。

富士山本宮浅間大社へのアクセス

富士山本宮浅間大社

静岡県富士宮市宮町1-1

身延線の富士宮駅から徒歩15分ほど。