北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社は山梨県富士吉田市に鎮座するご聖域です。
富士吉田口の起点にあたり、世界文化遺産の一部として登録されているスゴい神社!
今回もそんな素敵な北口本宮冨士浅間神社の見どころを、写真と共にお送り致します♪
そして、今回は『甲斐國・名神大社の謎』の第3回目となります。
北口本宮冨士浅間神社の見どころ
北口本宮冨士浅間神社までは、富士急行線に乗っていきます。
富士急行線と言えば富士山に一番近い鉄道!
富士山が一番見えるポイントでは、ゆっくり走ってくれるサービスもあります。
青空とともに綺麗~♪
そして、富士山駅に到着。
進入止めのポールも富士山♪
ここから徒歩20分ほど歩きます。
境内に向かう途中では、富士山とのコラボが素敵な銅の鳥居があります。
蒼空と共に素敵。
そして、富士山らしい登り坂が続いた先に…
緑豊かで、神気たっぷりな参道に到着。
10メートル越えの大スギと、石灯籠が並び、とっても清々しい!
さらに参道は200メートル近くもあるため、歩くだけでパワーを頂けます!
参道の途中には『角行の立行石』という岩があります。
この岩は、富士講の開祖・角行が極寒の中、裸で30日間つま先立ちした岩だそうです。
荒行だそうですが…なぜ裸?(笑)
また、明治の神仏分離令によって撤去された仁王門の礎石もあります。
神仏習合時代には、この他に三重塔や鐘楼もあったそうですが、今は仁王門の礎石のみ。
神社と寺が共存した時代の貴重な史跡です。
大鳥居と随神門
参道の先にあるのが巨大な鳥居!
日本最大の木造鳥居で、高さが18メートル!めちゃくちゃ大きいです!
厳島神社の鳥居も大きいですが、それよりも2メートルも大きい!さすが日本一!
さらに、歴史を感じられる重厚な随神門。
1736年、村上光清により再建されたもので、重要文化財。
数多ある甲斐國・浅間神社の中で、おそらく一番立派な随神門です。
神楽殿
随神門をくぐると、北口本宮冨士浅間神社の中核になります。
まず見えてくるのが、神楽殿。
先ほどの随神門と同じく村上光清の作品で、境内の修理した際、建立したものです。
そして、その背後にあるのが…
拝殿と本殿
北口本宮冨士浅間神社の拝殿。
写真でどこまで伝わるかは分かりませんが、参拝者と建物の大きさを見てください。
めちゃくちゃ大きいです!
さらに、拝殿の中に入って参拝するという、お寺のような面白い構造となっています。
そして、内部には巨大な赤天狗・青天狗が!
富士山五合目周辺は『天狗の庭』と呼ばれ、天狗さまは道開きの神でもあります。
ちなみに天狗とは『天の宮(てんぐう)』が転じたものです。
北口本宮冨士浅間神社では…
彦火瓊瓊杵:ご祭神の旦那さま
大山祇神 :ご祭神の親
この三柱をお祭りしています。
さらに本殿背後には『惠毘壽社及び透塀』があります。
ご祭神はエビスさまと大黒さまで、富士山を真っ直ぐに見つめています。
その理由は、いつでもお出迎え出来るようにスタンバイしているから!
そのため『迎えエビス・ダイコク』と呼ばれています。
東宮本殿と西宮本殿
本殿の横には、東宮本殿があります。
まず、東宮本殿は武田信玄が川中島の戦いの戦勝祈願のために建立したもの。
別名、富士権現と呼ぶそうです。
反対側には、西宮本殿もあります。
祖霊社
富士吉田口の登山口にして、富士講の祖霊をお祭りする祖霊社もあります。
富士登山は静岡県(富士宮)が有名ですが、実際は山梨から登る人の方が多いです。
ちなみに…個人的には山頂より、史跡が多い2~5合目までのプチ登山がお勧めです。
※古代史マニア限定の意見(笑)
北口本宮冨士浅間神社は名神大社か?
846年(貞観6年)富士山が最大級の大噴火を起こします。
この大噴火は約2年以上も続き、大和朝廷はその原因を占います。
その結果、この大災害は駿河國・浅間大社の祭祀怠慢との結果が出ました。
そこで祭祀を篤くするために、甲斐國側にも浅間明神の祠を造ります。
これが延喜式神名帳と共に、一ノ宮でもある名神大社・浅間神社の始まりです。
が、しかし…
ドコにあるの~!?
という感じで、現在、名神大社の浅間神社がドコにあるのか分かっていないのです!
現在、多くの研究者から有力視をされている浅間明神の祠(名神大社)は…
浅間神社 :笛吹市一宮町
河口淺間神社:南都留郡富士河口湖町
この三社。
まず『一宮淺間神社』は歴史はあるものの、社殿の向きは鎮座している裏山…
肝心の富士山を向いていません。
その為、裏山を祭った後、富士山を合祀した神社であり、名神大社ではありません。
次の『甲斐國一ノ宮浅間神社』なのですが、名神大社の可能性が最も高いものの…
やはり肝心の富士山を向いていません。
こちらも元宮がある神山を祭る神社であり、名神大社ではありませんでした。
では、多くの研究者からは相手にされてない北口本宮冨士浅間神社はというと…
ご神体の富士山をまっすぐ向いています!
が、しかし…甲斐国志によると…
この当地は古来より『諏訪の森』と呼ばれ、諏訪神社が鎮座地していた。
その後、浅間神社を"摂社"として勧請した…
とされています。
冨士御室浅間神社
では、諏訪の森に勧請をした浅間神社とは、どの浅間神社なのでしょう?
それは冨士御室浅間神社(河口湖)という、富士山最古の神社です。
溶岩流により最初の社殿こそありませんが、富士山最古の神社です。
最古である以上、冨士御室浅間神社こそが、甲斐國・名神大社か!?と思ったのですが…
甲斐國・名神大社は富士噴火後に創建された最初の神社であり、時代が合いません。
甲斐國・名神大社 = 846年(147年後)
創建をそのまま信じることは出来ませんが、富士大噴火前から鎮座しているとなると…
冨士御室浅間神社も、摂社として勧請された北口本宮冨士浅間神社も名神大社ではない…
という結論になります。
諏方の森に坐す諏訪神社
一方、北口本宮冨士浅間神社に最初からある諏訪神社はどうでしょう?
当然、諏訪の神を祭る聖域であり、富士山を祭る甲斐國・名神大社ではありません。
しかし、諏訪の森をずっと守ってきました。
その本質が諏訪氏の氏神なのか、出雲王朝の建御名方神なのか、別の神なのか…
それは永遠の謎ではあるものの、諏訪の森をずっと守ってきたことに変わりありません。
その証拠に、諏訪の森を守り続けるご神徳は今なお健在です。
何故ならば…
富士急行の偉業
かつて、北口本宮冨士浅間神社の隣接地には富士山自動車という会社がありました。
しかし、廃業し、その会社の跡地を中国人が購入しそうになります。
もし、購入されれば、鎮守の杜はどうなるか分かったものではありません!
そこで現われたのが、我らが富士急行!
富士急行は購入される前に買収します。
しかも、多額の金で買収したにも関わらず、この土地には一切手を付けていません。
権禰宜によれば、富士急行が志で神社の為に購入したもの、とのことです。
もしかしたら『諏訪の森に坐す神の神威』がそうさせたのかも知れません。
名神大社・浅間神社シリーズ
北口本宮冨士浅間神社をお送りしましたが、次回はシリーズ最終回です。
ここが延喜式神名帳に載る名神大社なのか?
それとも、結局は見つからないのか?
お楽しみに~
北口本宮冨士浅間神社の写真ギャラリー
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北口本宮冨士浅間神社へのアクセス
北口本宮冨士浅間神社
山梨県富士吉田市上吉田5558
JR中央線・大月駅から富士急行線に乗換え、富士山駅で下車。徒歩20分ほど。