倭文神社 伯耆國の由来を説き明かす

倭文神社

倭文神社(しどりじんじゃ)は鳥取県東伯郡に鎮座するご聖域。

ご祭神は、経津主神や武甕槌神すらも超える最強の武神・建葉槌命

そんな建葉槌命が鎮まる『伯耆國の由来』を説き明かして行きたいと思います。

なお、倭文神社のご紹介記事は下記リンクをご参照下さい♪


じゃらん


PR:国内25000軒の宿予約は"じゃらん"で!
神社の杜から予約すると2%還元中♪

内容を見てみる

幸運をもたらす伯耆國

鳥居

今回のテーマは伯耆國の由来を探ること。

そこで、出番となるのが風土記です。

早速、伯耆國風土記を見てみると…

【伯耆國風土記】
八頭之蛇が襲ってきたため、稲田姫は山中に逃げた。
その時、母が来るのが遅かったので、稲田姫は「母來(ははき)」と言った。
故に母來國(ははきのくに)と名付けられ、後に伯耆國(ほうきのくに)と改められた。

八頭之蛇(やまたのおろち)から逃げる時、母が来るのが遅かったので、稲田姫は…

お母さん、早く来て!母来!と叫んだ。

この母來(ははき)がそのまま国名となり、後に伯耆(ほうき)となったそうです。

あっさり解決してしまいましたね。

最強の武神・建葉槌命

随神門

そんな伯耆國一ノ宮の倭文神社に鎮まるのが建葉槌命(たけはづち)

日本書紀によると…

【日本書紀 巻第二 本文】
大國主命(おおくにぬし)は国譲りに従った。経津主神と武甕槌神は、諸々の従わない神たちを皆平げた。
従わないのは、星の神である香香背男(かかせお)だけとなった。
そこで建葉槌命(たけはつち)を遣わして、屈服させた。

大國主命は『出雲の国譲り』に従うものの、多くの神々は言うことを聞きません。

そこで派遣されたのが、最強武神と謳われる経津主神(香取神宮)と武甕槌神(鹿島神宮)

経津主神と武甕槌神は反乱軍を鎮圧するも、香香背男だけには歯が立ちませんでした。

そこで登場するのが、建葉槌命

建葉槌命

経津主神や武甕槌神が全く歯が立たなかった香香背男を、建葉槌命は屈服させます。

つまり…

建葉槌命は、経津主神や武甕槌神すら超える最強武神なのです。

そして、そんな最強武神が鎮まる國こそが…

ママ、かも~ん!

『ママ、かも~ん!(母來國:ははき)』

。。

。。。

ショック

何か違う…

東日流外三郡誌・荒脛巾

本殿

風土記による『母来』では納得出来ません。そこで探求を続けます。

まず、日本語にとって字は当て字に過ぎず、音こそが全てです。

その為、母来という字に惑わされることなく『ははき』という音を探る必要があります。

そこで『ははき』と聞いて思いつくのが…

遮光器土偶

荒脛巾(あらはばき)!

東日流外三郡誌によると『荒脛巾』は、初代神武天皇の宿敵『長脛彦』のこと。

つまり『ははき』とは『長脛彦』のことで、神武東征の激戦地も鳥取県だったのです!

…と言いたいところですが…

経塚の入り口

東日流外三郡誌は昭和に創作された偽書で、信憑性はゼロ。

そもそも脛巾は『はばき』とは読みません。

漢字に惑わされ『』から長脛彦を連想したのでしょうが…

東日流外三郡誌は、爪の甘い創作偽書なので『ははき』=『長脛彦』の線は消えました。

日本書紀・天羽羽斬

経塚

では『ははき』とは一体何なのでしょう?

そこで日本書紀の出番です。

信憑性の疑わしい古伝を持ち出さなくても、日本書紀にちゃんと書いてありました。

その内容は…

八岐大蛇

【日本書紀 巻第一 第八段一書(四)】
素戔鳴尊は出雲の國の簸の川の上流にある鳥上の山に着いた。
すると、そこには人を呑む大蛇がいた。
素戔嗚尊は天蠅斫剣(あまのははきりのつるぎ)をもって、その大蛇を斬られた。

素戔嗚尊が出雲に天下った時に、八岐大蛇と激突します。

その際、八岐大蛇を斬った剣が『ははきり』

では『ははきり』の意味は何かというと…

【古語拾遺】
古来、大蛇のことを羽々(はは)と言う。
天羽羽斬と呼ぶ故は大蛇(はは)を斬ったからである。

八岐大蛇という大蛇(はは)を斬ったからこそ天羽羽斬と呼ばれる。

つまり『はは』とは大蛇のこと。

それでは『き』とは何かというと…

【古事記 】
次に成りし神の名、
男:伊邪那岐(いざな
女:伊邪那美(いざなみ)

古き言葉において『き』とは男性のこと。

つまり『伯耆』とは…

大蛇男

大蛇男という意味です!

忌むべき幸運の大蛇王

宮戸弁天

風土記にある、『ママ、かも~ん!!』では國名としては情けなさ過ぎます。

だからと言って『大蛇男』という忌まわしき國名も不適切。

しかし、伯耆の由来は『大蛇男』

磐座

かつて、日本は海を拠点とする海洋民族と、森で暮らす森の民が住まう国でした。

しかし、農耕民族である大和朝廷が、国内を統一します。

その大和朝廷にとって、田畑を食い荒らし、死をもたらすのが、蛇という忌むべき存在

御冠山

しかし、海洋民族にとって、蛇は水辺に住む水の神であり、蛇は豊穣や繁栄の象徴

さらに、脱皮を繰り返すことから、古代より蛇は再生の象徴

そんな蛇を信じる海洋民族が住んでいたのが鳥取県。

そこで、大和朝廷は鳥取県を征服した際に、海洋民族にとって喜ぶべき名を与えます。

大蛇王

それが…

幸運をもたらす大蛇王

つまり、羽羽岐(ははき)

安産岩

大和朝廷は、海洋民族を持ち上げながらも、忌むべき名で侮蔑する。

大和朝廷は、プライドをくすぐりながらも、事実上は支配する。

伯耆に限らず、全国で起きたことです。

拝殿

羽羽岐(ははき)とは、固有名詞ではなく、将軍、国王などの称号に過ぎません。

従って、日本には多くの羽羽岐(ははき)がいました。

しかし、これをあえて国名にしたこと。

さらに、復活しないよう、最強の武神である建葉槌命で羽羽岐を封じ込めたこと。

大蛇王

このことを考えると『伯耆國』というのは、ものすごく重要な場所なのかも知れません。

倭文神社の写真ギャラリー

↓クリックで拡大、左右で移動。

倭文神社へのアクセス

倭文神社

鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754

山陰本線・松崎駅バス停→藤津入口停留所。
徒歩20分ほど。