大國魂神社 北向きの謎を解く!
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)とは、東京都府中市に鎮座するご聖域です。
鎮座1900年と、数ある都内の神社の中でも、トップクラスの歴史!
さらに、全国でも数少ない北向きの神社で、男神を祭るのに、女神の痕跡がちらほら…
そこで、今回の神社の杜は、そんな不思議な大國魂神社の謎を解明かしたいと思います。
大國魂神社の見どころ
大國魂神社へのアクセスは、JR武蔵野線の府中本町駅で下車し、徒歩10分ほど。
府中本町駅は、東京競馬場の最寄駅なので、競馬がある日はごったがえします(苦笑)
しばらく歩くと、とっても大きい石の鳥居が見えてきました。
大國魂神社は、東京・埼玉・神奈川を含む、武蔵國の総社。
創建1900年と、都内でも屈指の歴史を誇り、武蔵國の國府も隣接するスゴい神社!
なのに…
旧甲州街道が参道をぶち抜いています!
旧甲州街道の後で神社が出来たのなら、まだ理解出来ますが、大國魂神社は創建1900年!
歴史のある神社のご参道を、新参者の街道がぶち抜くなんてありえません!
随神門
長い参道を歩くと、とっても立派な随神門が見えてきました。
この随神門は、平成23年に改築されたため、今でもピカピカ!
東京では最大級のものと思われます。
拝殿
こちらが大國魂神社の拝殿。
神社は通常、天照大神(太陽)に向かうよう東か南を向いています。
しかし、こちらは何と北向き!
太陽に背中を向ける神社の為、ずっと逆光!写真家泣かせです(笑)
ただ…
ご社殿が太陽に背を向ける!ということは、天照大神(太陽)に背を向けるということ。
つまり、朝廷への反逆行為!
…しかし、朝廷は何故か大國魂神社を守護。旧官幣小社にまで昇格させています。
う~ん、不思議~!
本殿
こちらが大國魂神社のご本殿。
出雲大社の大國主命と、武蔵國一宮~六宮の神さまをお祭りしています。
朱塗りの社殿がとっても綺麗でね~
屋根の上にある千木、鰹木もステキです。
ちなみに…
千木とは、屋根上にあるバッテンで、先端が垂直だと男神、水平は女神。
鰹木も、屋根上にある丸太のことで、本数が奇数だと男神、偶数は女神を示します。
大國魂神社の祭神は大國主命(男神)
なので、バッテンは水平で、丸太は偶数の…
女神!?
あれ~?????
大國魂神社が北向きの理由
大國魂神社は既述の通り…
天照大神に背を向ける北向きの社殿
大國主命を祭るのに、千木鰹木は女神
もう、訳の分からない神社です…
でも、それは何故でしょう?
坪ノ宮
まず、大國魂神社には、境内から離れた地に『坪ノ宮』という境外社があります。
祭神は、出雲國造家であり、天照大神の子、天穂日の子孫。武蔵國造・兄多気比命。
大國魂神社は出雲國の大國主命を祭るので、出雲ゆかりの神も『境内』に祭るべきです。
しかし、大國魂神社では、出雲ゆかりの神を"部外者"かのように祭っています。
これでは、まるで、大國魂神社のご祭神は、出雲と無関係と言っているようなものです。
千木・鰹木
では、大國魂神社のご祭神は誰でしょう?
そのヒントとなるものが千木・鰹木です。
既述の通り、本殿の千木・鰹木を見る限りは『女神』です。
さらに、坪ノ宮の件も加えると、当社の神は出雲とは関係ない女神という事になります。
天照大神の和魂・荒魂
神道では古来より優しい和魂、祟りを及ぼす荒魂があると言われています。
大和朝廷が成立する以前、各地には太陽神に遣える沢山の日巫女(ヒミコ)がいました。
そして、皇族側にいた日巫女(ヒミコ)は、後に天照大神の和魂と呼ばれます。
逆に、大和朝廷が各地方を制圧するたびに、敗北した日巫女たちは消されていきました。
故郷と共に、時に命すら奪われた日巫女は、天照大神の荒魂と呼ばれます。
古事記・風土記・旧事本紀
伊勢國風土記逸文
伊勢國風土記によると、伊勢國は朝廷側との争いに敗北。
伊勢の支配者は東に流されたとされます。
このことより、伊勢の王家は、不本意ながら東日本に流刑されたことが分かります。
古事記・上巻
古事記によると、伊勢國の猿田彦は溺死した(自決した)と記しています。
この事より、伊勢風土記と合わせ考えると…
伊勢王は朝廷との争いに敗北し、自分の命と引き替えに一族の命を救った。
そして、残された一族は東日本に流れ着いたということになります。
先代旧事本紀巻第十・国造本紀
先代旧事本紀には、伊勢王の子孫・弟武彦が武蔵の國造家になったと記されています。
つまり、伊勢一族が流れ着いた東日本とは、武蔵國ということ。
一般的な通説とは全く異なりますが、それに符合するような社が大國魂神社にあります。
それも、創建1900年の長き時を刻み、かつ、出雲と無関係な『伊勢の女神』を祭る社が!
大國魂神社の女神
それが…
猿田彦の妻、天鈿女(あめのうづめ)を祭る宮乃咩神社。
創建1900年、都内でも屈指の歴史を誇る神社とは、大國魂神社のことではありません。
夫を失い、国を奪われ、流刑されながらも、一族を導いた伊勢の日巫女。
天鈿女を祭る宮乃咩神社です。
すべての答え合わせ
東国に流され、失意に沈む伊勢一族を導いた伊勢の日巫女。
やがて、一族は伊勢の日巫女、天鈿女を祭る『宮乃咩神社』を創建。
宮乃咩神社に並ぶ形で、旧甲州街道の前身が作られます。
その後、大和朝廷の支配が関東まで及ぶと、伊勢の一族は支配権を失います。
武蔵國が朝廷の手に落ちると、國府と共に、大國魂神社を"宮乃咩神社の境内"に創建。
しかし、同じ境内に作ろうとした為、構造上やむを得ず北向きとなります。
参道もそれに伴い、宮乃咩神社に沿う街道をぶち抜く形で作られます。
また、境外の坪ノ宮ですが、宮乃咩神社も、大國魂神社も、朝廷に国を奪われた祟り神。
そのため、いくら天照大神の末裔とは言え、境内に祭るには問題があります。
その結果、坪ノ宮は『境外』に作ることで、いびつながらも解決を図ることになります。
大國魂神社のまとめ
伊勢國は最初から大和朝廷のものではなく、その支配者から奪った土地です。
また、その背景には、國王の自決とともに、日巫女の悲劇と奮闘がありました。
伊勢國の歴史は大和朝廷によって改竄され、伊勢國の日巫女も秘されていきます。
その後、いつの間にか、脇役でしかなかった大國魂神社が主役となります。
しかし、大國魂神社には宮乃咩神社を始め、日巫女の痕跡が数多く残っています。
現在、宮乃咩神社は西向きですが、かつての故郷、伊勢を想ってのことかも知れません。
大國魂神社の写真ギャラリー
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大國魂神社へのアクセス
大國魂神社
〒183-0023 東京都府中市宮町3丁目1