赤城神社 上毛野氏と物部氏

赤城神社

赤城神社(あかぎじんじゃ)は群馬県前橋市に鎮座する神社。

赤城神社は上毛三山の1つ赤城山に鎮座し、全国に数多ある赤城神社の総本宮!

また、社殿と共に、元宮まであるご聖域。

今回の神社の杜では、赤城神社の見どころ、御朱印などを写真と共にお送り致します♪


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赤城神社の見どころ

関東バス

赤城神社は、上毛三山の一つである赤城山をお祭りする神社。

なので、赤城神社までは、前橋駅からバスで赤城山に向かいます。

アクセスはJR前橋駅から、関越交通バスで1時間40分ほど。

冬は豪雪となるため、直行バスは11/3まで。

朱塗りの橋

バスに揺られ、ようやく到着~

赤城神社は湖の小鳥ケ島に鎮座している為、朱塗りの橋を渡っていきます。

初秋の光りもあってか、現世と天界とを結ぶ神聖な橋に見えてきますね。

鳥居

朱塗りの橋を渡った先にあるのが鳥居。

神社の中でも、最高位の神社だけが保有する延喜式内名神大社が刻まれています♪

参道

そして、湖の側を通って行きます。

この演出がとってもいい!

地形的にたまたまなんでしょうが、ますます神聖な気分に♪

拝殿・本殿

拝殿

そして、こちらが拝殿。

赤城山は群馬特有の強風と雷の影響を受け、さらに冬になると雪も積もります。

その為、木造だとボロボロに…

それを回避するため、自然環境にも耐えうる現在の社殿に生まれ変わりました。

本殿

こちらが赤城神社の本殿。

もともと近くの大洞(だいどう)と呼ばれる場所に鎮座していましたが…

昭和45年に社殿を再建する際、この小鳥ケ島へと遷座してきました。

なお、ご祭神は…

赤城大明神(あかぎだいみょうじん)

また、群馬を代表する…

豊城入彦(毛野氏)
經津主命(物部氏)

などをお祭りしています。

黒檜山・駒ケ岳

赤城山頂案内

さて、せっかく赤城山まで来たのですから、山頂まで行ってみたいと思います。

その際、登ったのが黒檜山・駒ケ岳コース

360度眺望が登山疲れを癒してくれますが…

これがまたかなりキツい!

登山路

通常、登山はジグザグ登っていくのですが…

赤城山は何と直線コース(直線の坂道のみ)

急勾配の急坂が延々と続き、足場も岩場で、かなり体力を要するコースです。

でも…

境内全貌

途中で振り返ると、赤城神社の全貌が拝め、元気が出てきます。

そして、直線コースを登ること約90分

ついに…ついに…

山頂からの眺め

山頂に到着しました~

標高は1828m

登山の疲れも吹き飛びます!

今回は途中で曇天となってしまいましたが、直線コースも含めて楽しかったです。

黒檜山大神

ここから、駒ケ岳を通って下山をしますが、途中で黒檜山大神があります。

ご祭神は黒檜山そのもの。

無事に下山出来ますよ~に!

赤城山

来訪時は11月ということもあって、山肌は紅葉が進んでいます。

普段は無機質なパソコン作業ばかりなので、大自然の景色には本当に癒やされます。

赤城山案内図

そして、無事に下山~

近くにあった案内図をふと見てみると、何と元宮があるじゃないですか!

神社フリーカーとしては、元宮には是非とも行ってみたい!

そこで、赤城神社の元宮まで行ってみます。

元宮

元宮・鳥居

赤城神社の元宮は、現在の社殿近くにあり、大洞(だいどう)と呼ばれています。

造営は寛永19年(1642年)

石鳥居の風化が長き歴史を刻んでいます。

そして、その先にあるのが…

赤城神社・元宮

赤城神社の元宮

元宮ということもあり、社殿はありません。

現在は元社殿の材木のみが残っています。

元宮の杜

ただ、悠久の年月を刻み続けた神気は健在

名神大社の神威が感じられます。

厳島神社

元宮の奥には厳島神社があります。

もともと現社殿が鎮座する小鳥ケ島にあったのですが、社殿再建時に入替わりました。

小鳥ケ島の厳島も良いですが、湖畔を望める今の鎮座地もなかなかステキですね。

物部氏と毛野氏

赤城神社

さて、そんな赤城神社ですが、赤城神信仰はいつ頃から始まったのでしょう?

それは、赤城南麓からの水源としての恩恵。赤城山からの強風と雷雨に対する恐怖。

これらは太古からあり、当然のことながら、信仰自体は大昔からあったと思われます。

では、それが赤城神社という神道へ翔華し、赤城神社となったのはいつ頃でしょう?

上毛野氏

一説には、群馬県の上毛野(かみつけの)氏が創始したとされています。

この上毛野氏は、群馬栃木を支配した豪族・毛野(けの)氏の後裔です。

始祖は10代崇神の皇子である豊城入彦。

經津主命

ただし、赤城神社には、物部氏の經津主命も祭られています。

さらに、群馬には一ノ宮の貫前神社を始め、物部氏の影響がかなりあります。

この物部氏は神武天皇の時に登場する豪族。

つまり、10代崇神時に誕生する毛野氏より、圧倒的に歴史があるんですね。

疑問

ただし、部民制、すなわち血縁原理に基づく職能集団の成立は5世紀以降。

なので『部』を名乗る豪族が誕生するのも、5世紀以降のお話。

その為、物部氏が誕生するのも5世紀以降。初代神武の時からいたのはフェイクです。

従って、毛野氏の方が物部氏よりも古いです(部民制により毛野氏も『毛野部』に変更)

頭脳明晰

では、そもそも毛野部(けのべ)という豪族は何者なのでしょう?

毛野部けのべ

毛野部けのべ

毛野部けのべ

毛野部けのべ

毛野部けのべ

あ~

毛野氏

毛野部から物部氏への転換

太古、群馬栃木に入植した毛野氏(もうのし)

入植

その後、部民制によって毛野部(もうのべ)。

さらに宗家は物部氏(もののべ)へと変更。

中央政府で覇権を握ります。

しかし、崇仏論争をきっかけに、物部宗家は蘇我氏によって滅亡

同族とは言え、巻き添え喰らうのは勘弁と、群馬栃木の一族は毛野氏に戻します。

さらに、広大な領土は分割され、上毛野氏となります。

1:毛野氏
2:物部氏 
3:上毛野氏

毛野氏、物部氏、上毛野と名は違いますが、すべて同族です。

そして、飛鳥時代以前に入植した毛野氏が、赤城山に祖神を祭ります。

これが赤城神社の始まりです。

元宮・鳥居

その後、物部氏として覇権を握ると、新たに創作した物部氏の祖神を追加します。

しかし、物部滅亡後、波風を立てないよう、古事記に準じた神に差し替えます。

それが、現祭神の豊城入彦、經津主命。

小沼

従って、現在の赤城大明神以外の神様達は、古事記以後に成立した神々。

それ以前の神は文献がないので不明ですが、本来の神は赤城山そのものです。

なお、今回の…

毛野部(もうのべ)
物部氏(もののべ)

については、日本の古代史を推し量る上で、非常に重要なことだったりします。

赤城神社のまとめ

境内全域

群馬を代表する聖山であり、全国に数多ある赤城神社の総本宮!

さらに、社殿と共に、元宮まであるご聖域。

それが…

拝殿

赤城神社です。

山頂アタックはキツいですが、1828mからの景色は大変素晴らしいです。

また、帰りは赤城山のにごり湯もあるので、是非ご参拝を~

赤城神社の写真ギャラリー

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赤城神社へのアクセス

赤城神社神社

〒371-0101 群馬県前橋市富士見町赤城山4-2