四天王寺 血塗られた日本最古の仏閣鳥居

四天王寺

四天王寺(してんのうじ)は、大阪府にある日本最古の寺院である。

しかし、寺院にも関わらず、その入り口には鳥居がある。

さらに、日本で初めて殺された天皇が何故か祭られている。

それは何故か?この謎を解明していく。


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四天王寺

殯宮

静寂にして、神聖なる『敏達天皇の殯宮』に甲高い声が響く。

『門を開けよ!』

声の主は、穴穂部皇子(あなほべのみこ)

彼が殯宮を訪れた理由はただ1つ。

穴穂部皇子

強姦(レイプ)であった。

飛鳥時代の皇位継承

歴代天皇

太古以来、皇位継承は原則的に『親子間』で行われてきた。

しかし、奈良飛鳥時代になると次の天皇は、現役の天皇が兄弟の中から指名する。

だが、敏達天皇は後継者を決めなかった為、敏達の兄弟で最も優秀な兄弟が継承する。

敏達天皇の兄弟は下記の通り。

箭田珠勝大兄皇子
訳語田渟中倉太珠敷尊(敏達天皇)
上王 倉皇子 橘豊日尊
臘嘴鳥皇子
椀子皇子 石上部皇子 山背皇子
桜井皇子 橘本稚皇子 茨城皇子
葛城皇子 穴穂部皇子
泊瀬部皇子 橘麻呂皇子

もちろん、全てが天皇になれる訳ではない。

優秀、かつ、高貴な血が必要となる。

三輪逆の死

講堂

敏達天皇の殯宮には、敏達の妻と、三輪逆。ほか数名しかいなかった。

そこに異母兄弟である穴穂部皇子が来訪した理由…

それが強姦である。

【日本書紀 第二十一巻 用明天皇】
穴穂部皇子は豊御食炊屋姫を犯そうと、殯宮へ押し入った。

豊御食炊屋姫は敏達の皇后であると同時に、先帝(欽明天皇)の娘である。

すなわち、皇族であり、かつ、皇后。

この高貴な血統を手に入れれば、皇位争いが有利に働く。

その手段が何ゆえに強姦なのかは不明だが、穴穂部皇子は行動に打って出た。

奥殿と猫之門

『逆よ、門を開けよ!』

しかし、穴穂部皇子の意図を察した三輪逆は開門を拒否。

これに激怒した穴穂部皇子は言う。

三輪逆は甚だしく無礼である。門を開けよと七度も呼んだが答えがない。
許せぬことだ。斬り捨てたいと思う。

穴穂部皇子は物部守屋大連に命じ、三輪逆を三輪山(奈良県)にて斬り殺す。

豊御食炊屋姫

家臣である三輪逆を殺され、豊御食炊屋姫は泣き崩れる。

この件で政権トップであった三輪氏は没落。

空白となった政権トップの座を巡り…

物部氏(神道派)
蘇我氏(仏教派)

この二氏が争うこととなる。

崇仏論争

用明殿

穴穂部皇子の奮闘虚しく、皇位は異母兄弟の橘豊日尊が継承することとなった。

31代用命天皇である。

しかし、用明天皇は即位すると大病を患う。

死が身近に迫ってくる恐怖から…

私は仏、法、僧の三宝に帰依したい。

神道の主である天皇が『仏教に帰依したい』と嘆き始める。

祭政一致の飛鳥時代。宗教を征するものが、政治を征する。

用明天皇が、仏教を重視することになれば、仏教派の蘇我氏が政権を担うこととなる。

神道派の物部氏はこれを阻止すべく、熾烈な政権争いを繰り広げられた。

灯籠

崇仏論争は、宗教の対立という仮面を被った勢力争いだったのである。

その間に用明天皇は崩御。

在位わずか2年であった。

物部宗家滅亡・衣摺の戦

六時礼讃堂

用明亡後、皇位を奪取すべく、穴穂部皇子はクーデターを画策し、物部守屋と連携。

これに激怒したのは敏達殯宮で犯されかけ、三輪逆まで殺された豊御食炊屋姫

逆賊・穴穂部皇子と物部守屋を討て!

豊御食炊屋姫は討伐の詔を出す。

即日、三輪逆を殺した穴穂部皇子は討たれ、翌日には仲間の宅部皇子も殺される。

二人を藤ノ木古墳に埋葬。

戦争

翌月、敏達の異母兄弟である泊瀬部皇子が、蘇我馬子が率いて出陣。

だが、物部氏は軍事氏族。皇軍は勝てない。

そこで登場したのが聖徳太子である。

キリスト

聖徳太子(正式名称:厩戸皇子)は病死した用明天皇の子で、母親は蘇我系の娘。

馬小屋で産まれたから…と思われているが、それはキリストに寄せた創作でしかない。

実際のところは、蘇我系の娘である母親が、馬子の家で産んだことが元ネタである。

つまり『馬子の家で産まれた皇子』だから、厩戸皇子(うまやとのみこ)なのである。

祈り

厩戸皇子は母親方の蘇我氏の影響を受けて、仏教への想いが強かった。

実際、物部戦においても…

もし私を敵に勝たせてくれたら、
護世四王のため寺塔を建てましょう!

この願いが届いたのか、物部守屋は討死し、物部宗家は信濃國の諏訪地方へ敗走する。

崇峻天皇の殺害

金堂

物部宗家を滅ぼした厩戸皇子は、宣言通り、四天王寺の前身となる寺を建立。

いわゆる元・四天王寺である。

また、物部戦の功績が評価された事よって、蘇我馬子の甥である泊瀬部皇子が即位。

32代崇峻天皇である。

崇峻天皇

しかし、崇峻天皇は蘇我馬子と仲が悪く…

この猪の頸を斬るように人(馬子のこと)を斬りたいものだ。

これを聞いた蘇我馬子は激怒し、刺客を放ち崇峻天皇を殺害

日本史上、初の殺害された天皇となる。

推古天皇の即位

推古天皇

突然の事件に朝廷は混乱する。

これを鎮めるべく、冒頭から登場をしている豊御食炊屋姫が即位。

女性初の天皇、33代推古天皇である。

推古天皇は厩戸皇子を皇太子に。蘇我馬子を大連に任命。

大化改新

2人は血統が全てであった社会制度を改め、実力社会の世を目指す。

冠位十二階憲法十七条などがそれである。

また、四天王寺を移設し、法隆寺等を建設。

大化改新で滅亡するまで、蘇我の独占政治が行われるようになる。

血塗られた四天王寺

学説

以上が日本書紀の内容である。

要約すれば、穴穂部皇子と物部守屋の悪業。そして、蘇我氏の悪政である。

しかし、あくまで『文献史学上の話』であり『物的証拠』とは異なる。

実際、日本書紀の記載はおかしな点がある。

歪められた穴穂部皇子

神

人は死して神となる。

生きている間に偉業を為し得た者であれば、英霊となり、盛大に祭られる。

さらに、理不尽な理由で殺された場合でも、祟りを鎮める為に祭られる。

逆に、大罪を犯したものは、神にはならず、古墳も造られない。

大化の改新

穴穂部皇子は、推古天皇を犯しかけ、さらに三輪逆を殺した罪人である。

当然、神にはなれず、古墳も造られない

藤ノ木古墳

だが、罪人であるはずの穴穂部皇子は、今、藤ノ木古墳に眠っている。

罪人は神にはならず、古墳も作られない。

従って、日本書紀の記載は信用出来ない。

物部守屋にまつわる『もりや』

日本書紀の穴穂部皇子に疑問が生じた以上、物部守屋にも疑問が生じる。

守屋も悪業記載は多いが、真実は真逆だったのではないだろうか?

森之宮神社

四天王寺はあべのハルカスの近くにあるが、最初は大阪城周辺に建てられた。

勝利をもたらした御仏への返礼との事だが、穴穂部皇子と同様に祟り封じであろう。

なお跡地には、森之宮神社(もりのみや)が建っているが、本来は守屋の宮。

敷地面積を考えると、小規模なお堂だったと考えられる。

出雲神話

守屋を失った物部宗家は諏訪へ敗走したが、これと似たような話がある。

それが出雲の國譲りにおける…

諏訪大社本宮

建御名方神である。

建御名方神は戦いに敗れ、信州諏訪へ敗走。

現在、諏訪大社の主祭神となっている。

その諏訪大社にまつわる場所には…

諏訪大社の神長官:守矢氏(もりや)
諏訪大社の神体山:守屋山(もりや)

もりや』の名が付いてる。

出雲の国譲りにおける建御名方神の神話は、物部宗家滅亡が元ネタなのかも知れない。

史上最大の祟り神

祟り神

理不尽な死を迎え、現世に恨みを持つものは祟り神なる。

まして、それが最高権力者の天皇となると、祟りのレベルは最大級となる。

その為、蘇我馬子が殺害した崇峻天皇には、大規模な鎮魂の場が必要となる。

そこで選ばれた場所が…

四天王寺

四天王寺である。

四天王寺は、かつては実在した陵を破壊し、その上に建てられた寺院である。

荒らした、陵(はか)に、建てられた寺。

故に、四天王寺の山号は『荒陵山

鳥居の額

四天王寺は縁起と無関係な崇峻天皇を祭り、最古の寺院にも関わらず『鳥居』がある。

その理由は、物部守屋と、崇峻天皇の祟りを封じ込める場所だからだ。

そして、鳥居はもともと陵にあったもので、祟り封じの為に再利用されたものである。

これが最古の寺院にも関わらず鳥居があり、崇峻天皇が祭られている理由である。

行き過ぎた母性の暴走

仁王門

だが、釈然としない点がある。

それが崇峻天皇を殺害した蘇我馬子である。

天皇殺害という大罪を犯したにも関わらず、政権トップに躍り出ている。

これを蘇我氏の専制政治、横暴、悪政という声もある。

聖霊院(太子殿)

だが、蘇我馬子にとって崇峻天皇は親族で、外戚となる為、蘇我はメリットしかない。

それ捨てて得られるのが天皇殺しの汚名では話にならない。

では、逆に穴穂部皇子と崇峻天皇の殺害で、最もメリットを享受したのは誰か?

それが…

推古天皇

推古天皇(豊御食炊屋姫)である。

奈良飛鳥時代では皇位は『親子間』でなく、現役の天皇が兄弟の中から指名する。

その後、継承する兄弟がいなくなった場合、現役の天皇が次世代の皇子から指名する。

推古天皇の場合、敏達天皇との間に産まれた竹田皇子がいた。

一条院と普賢菩薩

推古天皇は竹田皇子に継承をさせたかった。だが、同世代の兄弟が次々と継承して行く。

そして、最後の兄弟は、自分の子を指名するだろう。

このままでは、竹田皇子は即位出来ない。

ならば、姉である自分が天皇になればいい。自分が竹田皇子を指名すればいい。

番匠堂

そこで、馬子に命じ、竹田皇子の障害となる穴穂部皇子と崇峻天皇を殺害。

しかし、竹田皇子は即位前に死亡。

自身の夢が叶わないどころか、皇位争いには血が流れる前例を作ってしまった。

推古天皇の行き過ぎた母性の暴走のせいで、この後も多くの血が流れることとなる。

四天王寺のまとめ

金堂

穴穂部皇子と物部守屋連は、推古天皇の命で蘇我馬子に殺された。

さらに、蘇我馬子の手による天皇記によって2人の真実は歪められる

しかし、645年(大化の改新:乙巳の変)

滅亡

中大兄皇子と中臣鎌足によって、蘇我宗家は滅亡する。

さらに、藤原不比等よる日本書紀によって、自身と同じように蘇我の真実は歪められる。

歴史は繰り返すのである。

亀遊嶋辯天堂

すべては推古天皇の行き過ぎた母性の暴走によるものである。

しかし、母性の暴走は皇極天皇孝謙天皇に継承され、再び多くの血が流れる。

だが、推古帝と同じく望む結果にはならず、薨去、断絶、滅亡し、歴史から消えていく。

そんな中…

四天王寺

四天王寺は1400年の間、随一の霊場として、歴史にその名を刻み続けている。

まるで、浅はかな人間をあざ笑うように…

四天王寺の写真ギャラリー

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四天王寺へのアクセス

四天王寺

〒543-0051
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目11-18

地下鉄谷町線・四天王寺前夕陽ヶ丘駅より、徒歩10分ほど。